2012年10月12日金曜日

【書評】WORK SHIFT/わくわくワークシフト

ちきりんのソーシャル読書会に参加すべく、「WORK SHIFT」読んだ。

非常に刺激的な内容だった。

たまたま図書館になかったので、しょうがなく購入したんだけど、買ってよかった。


2025年になるまで、チョコチョコ読んでみたいと思う。

オススメです。





  • 本の内容

2025年、近未来に社会はどうなるか? を想定し、僕らの働きかたをどのように「Shift」するべきかを考察した本。

すくなくとも、僕にはこの近未来は実現しそうに見えた。


  • 全体の感想

「感動した」とか「共感した」とかではなく、「心を揺さぶられた」という表現がぴったりだ。

つまり、未来に対する「希望」と、どうしようもない「不安」。

両方の感情をかき立てらた。




世界は変わる。


今まで通りではダメだと、心の叫びが聞こえる。

だけど、一歩が踏み出せない。

一歩を踏み出さないとなにも変わらないのはわかる。

だけど、一歩踏み出すことで、どん底に堕ちないと誰が言える?

マズローの底辺の欲求まで満たされない状態に陥る可能性がないと、誰が言える?

ジレンマです。


本書の最後のほうに、
"そのジレンマの中にこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている"

とあります。



この言葉を信じ、しばらくは、この不安と友達になり、じっくり相談しようと思う。






  • 面白いと思った細かい部分


この本で、面白いと思った「ポッセ」と「ビッグクラウド」の概念を備忘録的に書いておく。

ポッセとは、自分と同じようなスキルをもっていて、自分が困っていたら馳せ参じてくれる人のことらしい。

なにか仕事をするとき、声をかければすぐ助けてくれるし、ある程度知識を共有しているので、少ないコミュニケーション(つまり低コスト)で協業できる。

スピード重視で手っ取り早く仕事をするときにお互い助かる。

反面、価値観が似ているため、イノベーションは起こりにくい。



一方、ビッグクラウドは、さまざまな価値観の人と繋がる概念。

いろんなスキルでいろんな価値観の人と協業できる。

こちらは、価値観の垣根があるので、コミュニケーションのコストはかかるが、イノベーションを起こしやすい。

これから仕事をする上で、「ポッセ」と「ビッグクラウド」を使うことが大事だそうだ。


僕は、これを読んで、今までの企業の重要な機能はこの「ポッセ」と「ビッグクラウド」の機能じゃないかと思った。

企業の中にポッセとビッグクラウドがあったから、これまで大企業はすごいポテンシャルがあった。

でも、これからはテクノロジーが企業のこの部分の機能を果たしてくれる。

未来の世界ではこの面でもフリーランスで働きやすくなる。

だとしたら、これからの企業の役割はいったいどこに重きをおくべきなんだろうか?

興味深いです。




  • まとめ
この本を読んで、個人が「シフト」していくことの重要性が良くわかった。

だけど、結構ハードルが高い。

何でハードルが高いかと言うと、「現状」から「シフト」できてる人が、圧倒的に少ないからだと思う。


この本が示すような「シフト」後の生き方が主流になれば、きっとハードルが低くなる。




なので、日本中の皆さんが先に「シフト」して、ハードルを低くしてもらいたいと思う、他力本願な希望を抱いております。



おわり

2012年10月11日木曜日

胎動

胎動、

胎動。

ウズウズ、

ウズウズ。

からだの奥で蠢くお前は、

良きものなのか?

悪しものなのか?

生まれてくるのか?

そのまま消えるか?

出てこい、

出てこい。

良きものにしろ、

悪しものにしろ。

お前の顔を

見てみたい。

2012年10月9日火曜日

落穂

三連休に、裏の田んぼが稲刈りだった。

夕方、ハトポッポが落穂をアサリに来てた。

息子がハトポッポを追いかけるけど、すぐ飛んで逃げられる。

ハトを追いかける息子

息子「はとさん、何してるの?」


父「稲刈りで落ちたお米を食べに来てるんだよ」


息子「へぇ」


息子は、田んぼの中から落穂を見つけ出し、持っていた虫取り網にいれた。


そして、藁の山に網を立てて、罠を仕掛けた。





網にエサを入れて罠を仕掛ける息子




息子「ハトさん、来るかなぁ?」


もちろん、ハトさんは来なかったけど、三歳児に罠を仕掛ける知能があるとは驚いた。


「ハトさんくるかなぁ?」

おわり


2012年10月4日木曜日

裸の王様の国

先日こんなブログを読んだ


デマこいてんじゃねえ!/裸の王様の教訓は?


ふんふん、と読んでたけど、


「あれ? 裸の王様ってどんな話やったっけ?」 ってなった。


みんな、王様が裸だってこと知ってたんだったっけ?

それともみんなだまされてたんだっけ?

最後に子供が「王様が裸だ!」 って言った後どうなるんだっけ?


細部があいまいで、ちゃんと思い出せない。



てなわけで、裸の王様の原文訳を読んでみた。


ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 はだかの王さま The Emperor's New Suit


読んだ後、今まで細部を微妙に取り違えていたことに気がついた。

そして、非常に示唆に富んでいることに驚いた。

是非読んでみてください。

以下に僕の考える教訓を書いてみます。



  • よき動機がよき結果に結び付くとは限らない。

まず驚いたのは、王様がバカには見えない服を作らせたのは、とてもよい考えからでした。

「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」


これは、本当に意外でした。

王様、メッチャかっこいいやん。と思ってしまうほどです。

しかし、結果はご存じの通り散々です。

よき動機でも、思慮深さと誠実さがなければうまくいきません。

これは大事な教訓です。



  • 保身が人にウソをつかせる

王様が作らせた服は単純に「バカには見えない」服ではありませんでした。

正確には

自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない

です。

「バカ」だけだと抽象的すぎますが、「自分にふさわしくない仕事をしている人」となると、かなり具体的です。

要するに見えなければ即「クビ」です。

そりゃウソもつきたくなります。


また、僕は、みんなが王様に「裸だ」と言えなかったのは、王様に逆らうとクビになるからだと思っていました。

でも、原作では、見えないことそのものがクビに繋がるみたいです。

これは、王様の機嫌を損ねクビを切られるより深刻です。

王様一人を交換して済む話じゃないからです。




しかも、興味深いのは、一番まともそうな人間が一番最初に「見える」と嘘をつくところです。

 そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。この大臣はとても頭がよいので、布をきっと見ることができるだろうと思ったからです。向かわせるのにこれほどぴったりの人はいません。

一番まともだからこそ、保身に走り、一番まともだからこそ「あの人が見えるなら本当なんだ」と、他の人にも次々に伝播してしまった。

まじめな人ほど、だまされる典型です。



  • 実体がないものでもみんなが認めれば価値になる(バブルの話)

実体がなくても、みんなが素晴らしいと認識すれば価値が出る。

まさにバブルそのものだ。


みんなが王様が着ている(ことになっている)服に価値を見いだせばそれは価値がある。

ただし、それは、みんなが認めている間だけだ。

誰かが「裸だ!」と叫べば、たちまち価値がなくなり崩壊してしまう。

この物語では、王様が恥ずかしいだけですんだ。

でも現実はもっと厳しいことの方が多い。



  • 黒船はいつも海の向こうからやって来る

Wikipediaによると、「王様は裸だ!」と叫んだのは子供ではなく、黒人だったらしい。

元の話では王様が裸であると指摘するのは子供ではなく黒人であった。

たぶん、人種差別的な観点から子供になったんだろう。


でも、子どもだったら純粋に「見たままを言った」で納得できるけど、黒人となると「純粋」ではしっくりこない。


子供と黒人の共通点ってなんだろう?
アンデルセンが黒人に「裸だ」と言わせた意図はなんだろうと考えた。



それは物語の中で、どちらもアウトサイダーとしての役割だったんだと思う。


裸の王様の国の常識を持たない存在。


黒人は奴隷として、白人社会の常識を共有できない。
子供はまだ社会の常識を理解できていない。


これは、単純に「純粋な心を持ちましょう」と言う啓蒙よりは、狭い社会で通用していた常識が、外部の力で意図も簡単に崩れ去る危うさを示唆していると思う。


Amazonが出版を変えたように。
Appleが音楽業界や携帯業界を変えたように。

良くも悪くも、常識が変わるのはいつも外側からだ。



  • いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。

僕が一番恐ろしいと思ったのは、この最後の部分。

王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。

引くに引けないと言うやつです。


非常に怖いです。

一度始まったものは、途中で愚考に気づいても、やめることはできない。
行くところまで言ってしまう。

僕はこの結末に、ゾッとしてしまいました。



  • まとめ 裸の王様の国の希望
改めて原文訳を読んでみると、非常にたくさんの教訓があります。
特に、最初はよき動機で始められ、最悪の結果になろうとも、動き出せば止まらない。行き着くところまでいってしまう怖さを教えられる。

まるで、将来のエネルギー問題を夢の原子力技術で挑み、様々な重大な問題が起こってしまっても突っ走っていく日本そのものだ。

動き出したものを止めることは非常に難しい。


だけど、この物語には希望もある。

だれかが「王様は裸だ!」と叫んだあと、みんな目が覚めた。

「王さまははだかだぞ!」 ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。
「子どもは馬鹿だから見えないんだな」と黙殺される可能性だってあった。

だけど、人々はそこまで馬鹿じゃない。

きっかけさえあれば目覚める。


王様はパレードをやめることができなかった。
でも、パレードを続けるだけで済んだのかもしれない。

もし、ここで子どもの叫び声を黙殺されたら、もっとひどいことになっていたかもしれない。

馬鹿には見えない服が、一般市民にも流行りだし、詐欺師に国中の財産をもぎ取られ、冬になって全員凍死するストーリーだってあったはずだ。

だけど、僕らは何かのきっかけでちゃんと目覚める力を持っている。

それが、外からの声かもしれない、子どもの声かもしれない。



手遅れになる前に、真剣に耳を傾けよう。



僕らは裸の王様の国に住んでいるんだから。

2012年10月3日水曜日

【子供から学ぶ】絵を描くことは物語ること

ある晩、仕事から帰ると、嫁から報告があった。
「今日ね、○○が保育園で上手に絵を描いたよ」
長男が猫じゃらしの絵を描いたらしい。
それまで、息子の絵は、豆粒みたいな点を細々書いたり、丸を書いたり、抽象的なモノしか描けなかった。
(丸を描いて「車!」と言い張ることはあった。)
それが、はじめて猫じゃらしと言う「具体的なモノ」を描いた。
そこには、曲がりなりにも、土があり、茎があり、穂があった(らしい)。
ちいさな子供がいる親御さんならきっとわかってくれると思うけど、これはなかなか大きなステップアップだ。
外の世界を認識し、自分のなかで解釈し、アウトプットできたと言うことだ。
脳ミソの中でどんな変化が起きたのか、非常に興味深い。
嫁は、単純に息子の成長にビックリして、先生にどうやって書かせたか聞いたらしい。
その答えは次のようなものだった。
まず、猫じゃらしがどうやってできるのかを子供たちに語った。
最初に種があり、種が土の上に落ちる。
土の中には、石や葉っぱやアリンコやいろんな生き物がいる。
種から芽が出て、土の栄養をいっぱい吸って、茎が延びて、葉っぱが伸びて・・・
(実際は僕の文章なんかよりとても楽しい話だったんだろう)
つまり、猫じゃらしにまつわる、周辺を含めた物語を語った。
そして、先生が簡単にお手本を描いて、「みんなも描いてみる?」と言って、紙とクレヨンを渡した。
すると、なんと言うことでしょう。
息子が絵を描いた。
きっと、息子の中で猫じゃらしの世界が広がったんだろう。
土と根っこの関係、茎が支える穂。
それぞれの関係が物語を通して繋がったんだろう。
そして、茎が成長していく時間軸と茎を描くことが繋がったんだろう。
(茎を下から上へ描く様子が思い浮かぶ)
今まで、子供とお絵描きするとき、例えば猫じゃらしなら、葉っぱは何色で、穂はどんな形で、と言ったように、形の説明に終始してた。
絵をかくと言うことは、形を再現することだと思っていた。
でも、そうじゃない。
絵をかくと言うことはストーリーを描くことなんだ。
世界の物語を読み解き、世界向けて語りかけることなんだ。
(なんか、壮大なまとめになってしまった。)
保育園の先生スゲェ。
※もちろんこれが絵を描くことの全てじゃない。ひとつの解釈として。
※ぼくも、実際の息子の絵は見てません。どうせ下手くそです。あくまでも抽象表現から具体表現へのステップアップについての考察です。一般論で親バカではありません。
※いつか、実際の絵が手に入ったらアップしたいです。
※もちろん、うちの子の体験談で、全ての子供に有効とは限らない。

2012年10月1日月曜日

【書評】ニートの歩き方/優しさだけで生きていける社会へ

世界一のニート、phaさんの本。


 

ニートと言う響きは、あんまり良いイージが感じられないかもしれないけど、この本からはこれからの働き方や人生観を模索していくためのヒントがちりばめれている。


ちょっと死語かも知れないけど、著者のような人を「ニューエイジ」って言葉が浮かんでしまった。
これから、こういう人がどんどん増えていって、世の中が変わっていくだろう。

ぼくは、この人の感覚が非常によくわかる。

社会とうまく折り合いがつかない感じ。

子供の頃からずっと抱いていた社会の仕組みに対する疑問。
リア充と言うか、マッチョがはびこる世界で片身が狭い思いをする、あるいはリア充のフリをして生きている。

息苦しさを感じているのは僕だけじゃなくて、結構いるんじゃないだろいか、と言う気がしてきた。

そして、phaさんのように、周りに会わせることを止め、ニートのまま生きていくことが、まだハードルがあるにしろ不可能ではなくなってきた。

(適応力があるなら著者は働いた方が楽だと言ってる。その通りだと思う)




これからテクノロジーが発達していけば、ますますこういった人が増えてくると思う。




この本を読んで、著者は基本的に本当に優しい人なんだと思った。



著者だけじゃなくて、多くの若者は人の役にたちたいと思っている(と思う)。

でも、これまで働くってことは、(多くは人の役に立つことだけど)必ずしも役にたつことばかりでないし、会社に勤めることは(金銭的な)利益が優先される。


また、日本独特の人間関係が優先されたりする。



そこに息苦しさを感じてしまう。


楽観的だけど、近い将来、僕はテクノロジーがこの息苦しさを変えてくれると信じている。


著者もニートが生きやすい世界は、みんなが生きやすい社会だと言っているけど、まさにその通りだと思う。


優しさだけで生きていける社会。


自分の子供が大人になる頃には、そんな社会になっていればよいと思います。



おわり

【書評】KAGEROU / 僕はこの作品を酷く憎悪する

KAGEROU読みました。

僕の読解力、生死観が乏しいためかもしれませんが、この本読み終わった後、嫌悪感を通り越して、憎悪を抱くほど、強い不快感を持ちました。


以下、この本についての感想を書こうと思います。
かなりネガティブな感想です。(まだ読んでいない人とか、好きな人は見ないほうがいいと思います)

(多少にネタばれもあると思います。)

あと、初見の感想なので、後々、僕自身の価値観が変わり、「やっぱり面白いやん」となるかもしれません。(そうなることを期待して、今の気持ちを書き留める)
















【感想】


  • 薄っぺらい命

この本の作者は、「命の大切さ」をテーマにしているという。

物語は主人公が自殺しようとするところから始まる。


だけど、この主人公からは、今まさに死のうとしようとしている人の切実さが微塵も感じられない。

人はこんなに軽いノリで死ねるものなのか?


僕には、この本の作者から「お前らはこの主人公と同じように命の大切さをわかっていない」といわれているように感じてならない。


「お前らみたいな命を粗末にするやつらに、命の大切さを教えてやるよ」


っていう、上から目線の傲慢な態度がにじみ出ている。


非常に腹立たしい。


僕はこの本の作者から、僕の命、僕の家族の命を辱められている感覚がする。




くやしい。



僕は、僕らの命を軽く見ているこの作品を憎悪する。





僕らはこの主人公のような薄っぺらい人間じゃない。




複雑で重くて、不器用で根暗で、夢もあり希望もあり、愛もある。



それでも、時として絶望や孤独や無気力に襲われてしまうときもある。



複雑な僕らの命を、こんな薄っぺらい主人公に投影されるのは非常に不愉快だ。







以上


僕に文章力がないので、たかが小説をなぜそこまで憎むのかうまく表現できないのが残念です。
(こんな僕に作品をdisる権利があるのかも疑問)


また、小説なんだから、テーマを引き立てるためにあえてこの主人公のようなキャラクターにしたという意見もあると思う。


そうかもしれない。

でも、この主人公じゃないといけないという理由も特に今のところ納得いかない。


いつか、この作品と和解する日が来るのだろうか?


おわり