2013年12月6日金曜日

【感想文】『おまえさん』/人間の二面性

宮部みゆきの『おまえさん』読んだ。


おまえさん(上) (講談社文庫)
宮部 みゆき
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江戸の同心、井筒平四郎を主人公にしたシリーズ。『ぼんくら』『日暮し』に続く第三弾。

宮部みゆきはやっぱり面白い。

僕はあんまりサスペンスとか、ミステリーが好きなほうではないけど、宮部みゆきは好きだ。



宮部みゆきの小説は、一応サスペンス的な物語なんだけど、なんというか、トリックとか、種明かしとかそういうところに重心を置いてないのがいい。




なんというか、あくまでも事件は氷山の一角で、その下に潜んでいる社会問題とか人間関係とか、人間の心理だとか、そういうものをしっかり描いているような気がする。




僕の中で本当に面白い小説(映画も可)の定義は次のようなものだ。


”本当に面白い小説(映画)は、オチがわかっていても面白い”


宮部みゆきのサスペンスは、人間を描くための方便みたいなものだから、たとえ犯人がわかっていても、読んで面白い。

むしろ、変なハラハラドキドキ感がない分、二回目の方が描かれている人間についてじっくり考えながら読めるかもしれない。




で、今回読んだ『おまえさん』について。

この物語では、人物の二面性(あるいは多面性)と言うものが、重要なテーマであると思う。


最初、とてもいいやつだと思っていた人が、あるときとても嫌なやつに見えたりする。

逆に、嫌なやつだと思っていた人が、あるタイミングではとてもかっこよかったりする。


とくに、人物が「変貌」するわけでもないのに、ちょっとした見方の違いで、がらりとその人物の印象が変わってしまう。

そういう描写がとても面白い。


考えさせられる。


強さと弱さ、優しさと卑劣さ、正義と悪、そういったものがちょっとした拍子にがらりと入れ替わってしまう。

いや、おなじ現象を別の角度から見ると、まったく逆に見えてしまう。


だから、僕らはモノを見るときにはとても注意しないといけない。

また、ちょっとした拍子に自分でも気づかないうちにまったく正反対の方向へ転げ落ちてしまうかもしれない。

そうならないように、気を付けないといけない。


そういうことだと思います。たぶん。




『ぼんくら』シリーズはキャラクターがとてもいい。どのキャラクターもイキイキ描かれていて、とても楽しい。


まだ、続編出るかな?


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2013年12月4日水曜日

【感想文】『吾輩は猫である』/漱石の万華鏡世界

久しぶりに、『吾輩は猫である』を読んだ。

何年か前に読んだ時とは違う印象だったので、その辺を書いておく。


吾輩は猫である (新潮文庫)
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だいぶ前に読んだときは、猫の(つまり漱石の)社会を見る目ってすごいなぁと思った。

世界を鋭く見る目と言うか、そういうところにすごく感心してしまった。



で、このたび、久々に『吾輩は猫である』を読んだ。


やっぱり、漱石の批評眼には相変わらず驚かされるし、今にも通じる社会問題を当時から鋭く見抜いていたのは感服のいたりです。



だけど、今回は、前には気付かなかったことの気付いた。



この物語は、確かに社会を風刺している物語であるけど、漱石が一番批判しているのは”漱石自身”である、という点だと思う。


苦沙弥先生は漱石がモデルだ。だから、苦沙弥先生を批判することは漱石を批判することになる。

これはすぐにわかる。


僕が今回気付いたのは、その先。



この小説で、猫はその主人の性格を反映している。

いわば猫は飼い主の分身だ。一心同体と言ってもいいかもしれない。


車屋の黒は車屋の、三毛子はお師匠さんの性格を反映している。


だから、苦沙弥先生の猫(名前がないから猫としか言えない)は苦沙弥先生の性格を反映している。


猫が苦沙弥先生に言葉を投げる。しかし、その言葉はブーメランのようにそのまま猫に帰ってくる。


なぜなら、苦沙弥先生は猫の分身でもあるから。



そして、苦沙弥先生は漱石がモデルである。

さらに、語り手である猫は書き手である漱石の代弁者である。


だから、漱石が猫に投げさせた言葉のブーメランは、苦沙弥先生を引き裂き、戻ってきて猫も切り裂き、漱石自身に突き刺さる。

たぶん、漱石はそれを結構意識的にしていると思う。

猫がウダウダいっているところを人前にさらすことで、自分がウダウダいう性格であることを自虐しているんだと思う。

ドMである。



漱石の真にすごいところは、自分を批判的に見るところだ。


これだけ自分のことがわかっていながら、なぜ苦沙弥先生はダメダメなのか不思議に思うくらいだ。


自身をモデルにしている『草枕』の主人公も、奥さんに偉いひどいこと言う。こんだけ自分のことわかっているならもっと優しくなればいいのに、、、と思う。



でも、たぶん、そういう自虐的なところが面白い。愛嬌がある。


苦沙弥先生が内輪では偉そうにウダウダ言いながら、行動に出るといつも失敗する。


同じように猫もうだうだ頭で考えながら行動に出るとやっぱり失敗する。


そういうところに、愛嬌がある。


猫があまりにも立派なことを言うので、ついつい「ふんふん、猫すげえなぁ」と思ってしまうけど、本当は「うだうだ言ってんじゃねえよw」とくすくす笑いながら読むものなんだと思う。


たぶん。。。。




こんなこと考えていたら、ふと頭に万華鏡が思い浮かんだ。


世界は万華鏡だと思う。


漱石と、猫と、苦沙弥先生。


この2人と1匹が鏡になり三角形を作る。


そのなかに、迷亭君や寒月君やらいろんな人が転がり込んで、にぎやかで多彩な万華鏡世界が生まれる。

実に楽しい。

それと同時に、一人の人間の視野の限界も感じる。


所詮、人間は「観測者」としての肉体を離れるわけにはいかない。自分が見ることができるのは自分の万華鏡の中身だけなのかもしれない。


だけど、自分が今見ているのが「万華鏡の中なんだ」と意識できるかできないかは大きな違いだと思う。




たぶん。(まとまらない)

2013年11月25日月曜日

【絵本】『りんごかもしれない』/世界がブワwって広がる

"あるひ がっこうから かえってくると・・・・・ テーブルの上にリンゴが置いてあった。・・・・・でも・・・・もしかしたら これは リンゴじゃないかもしれない"

りんごかもしれない
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ブロンズ新社から最近出た絵本。facebookで宣伝していた。


やばい。ktkr。


おもしろい。


何気ない日常が、一気にブワーって広がる。


大人が見て面白い。


イラストもいい。


僕は図書館で借りたけど、ちょっと買いたくなった。



内容的には、うちの子(4歳児)にはちょっと早いかなwっと思っていた。

この絵本は、漫画的というか、1ページが複数のコマに分かれている。

1ページに複数コマがわかれていると、読み聞かせるとき、「今この部分を読んでいるよw」っ指さしながら読まないといけない。

たぶんこの本は、小学生以上を対象にしているんじゃないかな?


だから、まだ早いかなと思っていたんだけど、気が付いたら子どもが一人でじーっとイラストを見つめていた。


やっぱり、イラストがいいんだろうな。


そして、なんか不思議で面白いんだろうな。




よかった。

ほしい。

2013年11月21日木曜日

『街場のメディア論』/わけのわからないものに魅力を感じること

久々のブログ。

いつも、何か書こう書こうと思っていざ書きだすと、あれもこれも盛り込んで、結局収拾がつかなくなって、中途半端で投げ出すというのが続いていた。
(下書きだけ書いて、投稿しなかったものが100個以上ある・・・)

これではいかんと思って、これからは、もっとさらっとブログを書こうと思う。

んで、読書感想文。


街場のメディア論 (光文社新書)
内田 樹
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また、内田樹。



全体としては、わかるような気がする。


ただ、そうはいっても、人はおまんま食べていかないといけないわけで、なかなか内田先生みたいにデーンと構えていられないところはあると思う。


僕が面白いと思ったのは、最後の方にあった、人間の「わけのわからないものを自分への贈り物だと勘違いする能力」のところ。

うん。

これはよくわかる。



うちの子どもも、保育園の帰り道に毎日のように木の棒やらどんぐりやら松ぼっくりやらを拾って帰ってくる。


おかげで、車の中がものすごく汚くなる。


あと、ちょっと暖かくなったら、どんぐりから変な虫が出てきて気持ち悪い。


「お父さんこれ持っといて」といって、ポケットの中にどんぐりとか石とか入れてきて、そのまま忘れてしまう(リスか?)。

そして僕も忘れてそのまま洗濯してしまう。


まぁ、それはいいや。


この、「勘違い能力」は本能的なものなんだろう。

そして、子どもはその能力が高い。

大人になると、衰えるのかもしれない。

だから「子どもの時にだけ、あなたに訪れる不思議な出会い」なんだろう。




大人になっても、この能力が高いのはきっと、どぶろっく。

もしかしてだけど
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おわり。

2013年9月20日金曜日

『だいくとおにろく』/鬼とは大工自身ではないだろうか

図書館で『だいくとおにろく』を借りた。

大好きな絵本の一つ。

北欧の民話が元ネタだとか。

よい物語は示唆に富んでいる(何回もいっているけど)。

『だいくとおにろく』も、読むたびに(と言うのは少し大げさだけど)新しい発見がある。

今回読んで、感じたことを備忘録的に記録しておく。


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この物語に出てくる「鬼」は「川の化身」と思っていた。


だけど、ふと思った。



「鬼」とは、大工自身ではないだろうか。


人間の中にある、未知の領域。


自分でも制御できない潜在意識。



荒々しい川にも耐える橋を創るようなすごい力を持つ一方で、鬼のように恐ろしい部分。


そういうものを具現化した存在ではないだろうか。


橋を創る力は、もともと大工に備わっていたんじゃないだろうか。


大工自身がそれに気づいていないだけで。





そして、鬼は大工自身が抱える恐怖でもあると思う。


自分の中にありながら、コントロールできない未知の力に対する恐怖。


人が恐怖に退治した時、二つの選択を迫られる。


ひとつは、恐ろしいものから目をそらすこと。すなわち目玉を差し出すこと。

若しくは、恐怖の正体を見極めること。すなわち鬼の名前を言い当てること。



人間はわけのわからないものが一番恐ろしい。

正体がわかれば、もう怖くない。



そして、恐怖の正体は暗い森の中でしか知ることができない。

たぶん、大工が入っていった森の中は、深層心理の一番深いところなんだと思う。

そして、そこは死の世界の一歩手前なんだと思う。

それくらい、ギリギリのところでしか、鬼の名前を聞くことができない。たぶん。



昔の人は、自分自身の一部を、鬼とか精霊とか、そういうものに切り分けて考えることが上手だったんだと思う。

今の僕らは、「自我」とか「自意識」とかが強すぎて、自分自身は自分自身であると信じすぎてるんじゃないかと思う。

自分自身の中に、自分でもコントロールできないものが存在していることを忘れているんじゃないだろうか。

そういうものに対する、敬意や畏怖の念みたいなものが足りないんじゃないだろうか。


そして、知らず知らずのうちに、鬼に目玉を差し出して、いろんなものを見つめる機会を失っているんじゃないだろうか。


『だいくとおにろく』を久しぶりに見て、そんなことを考えた。



とにかく、『だいくとおにろく』は面白い。

2013年9月18日水曜日

牛河を描いてみた

『1Q84』、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる「牛河」を描いてみた。



小説の登場人物を視覚化するのは野暮だと思いつつも、描いてみたい欲望を抑えられなかった。

とにかく嫌なやつなんだけど、なんとなく憎めない。

とても魅力的な登場人物。



実際、絵にしてみたら、80%位は頭の中のイメージを表現できたかなと思う。

残りの20%くらいはうまく表現できなかった。


せっかく描いたので、ここにUPする。


※イメージを固定化したくない人は見ないでください。




牛河利治
牛河

どうでしょうか。



1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)
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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
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2013年9月1日日曜日

ハードカバーのたった一つのいいところ

ハードカバーの本ってあまり好きじゃない。

重いし、かさばる。


でも、本を閉じたときの「パタン」っていう音、あれは好きだ。


読んでるって感じがする。


それだけで、すべてのマイナス面を補って余りある。


文庫本でも、電子書籍でも、あの感覚は味わえない。