関西ひよこライダーズカップに出場してきました。
http://striders.exblog.jp/
ストライダーっていう、2歳から乗れるペダルなし自転車の大会です。
ずっと大会に出たかったんだけど、開催されるイベントの少なさと倍率の低さで、半ばあきらめていたところ、「関西ひよこライダーズカップ」にキャンセルが出たとのことで参加できることになりました。
有志のパパさん・ママさんが運営されている大会ですが、かなり本格的で楽しい一日を過ごせました。
運営の方たちに感謝です。
会場はJ-GREEN堺の屋根付フットサルコートで、広々としてしかも日陰なので、真夏にもかかわらず非常に快適でした。
会場に来てまずびびったのが、他のご家族のやる気の違いです。
ステッカー張ってるのなんて当たり前、ストライダーのハンドルや車輪をカスタムしてめっちゃ力が入ってました。
そして、うちの子(3歳)より明らかに小さい子でもビュンビュンストライダーで走り回っていました。
反面、うちの子は「コースを回っていち早くゴールする」レースという概念を理解していないようにも見えました。(不安。。。)
いよいよスタート。
「れでぃー、せっと、ごー!」
の合図で各馬一斉にスタート。
うちの子も何とかスタートできました。
が、、、
フットサルコートの線上を走ることに固執してしまい、あえなくタイムアップ。
完走すらできませんでした。。。
残念。。。
でもまあ、ずっと出たがっていた大会にも出られたし、他の子がどんな風にストライダーに乗っているか見ることができた。
そして、何より楽しかった。
とても有意義な一日でした。
関西ひよこライダーズカップの皆様、ありがとうございました。
---
余談
ストライダーは公道を走っちゃいけません。(ブレーキないしね)
で、乗るときはヘルメット必須だそうです。
自転車用ヘルメットは2歳とか想定外なので(そら自転車乗れる子用やからね)
ウチはローラースケートとか用のヘルメットにしました。
これだと、2歳からいけるし、
スネあて、ヒジあてがあるしお手ごろ価格でオススメです。
2012年8月21日火曜日
はるかぜちゃん、あるいはSNSにおける巫女的存在について思うこと
最近、なにかと話題のはるかぜちゃん。
嵐だとかいじめ問題だとかで、ついったが賑わっております。
ぼくも、最初は
「なんてまともマトモなことをいう子がいるんだ! しかも、大人以上についったを使いこなしててスゲェ!」
と感心してしまい、思わずフォローしてしまいました。
でも、なんだか最近、彼女を取り巻く領域というか、場というか、がとても気持ちが悪く感じてきて、この気持ちの悪さの正体はなんだろうと、考察してみました。
(あくまでも、気持ち悪さは彼女を取り巻く環境というか「場」であってはるかぜちゃんそのものではありません。ここ強調しとかないとなんとなく怖い。)
でも言ってることって、単なる正論にすぎない。
「子供が言っている」という条件がなければ何も特別なことは言ってない。
なのに、なんで子供が言う正論ってこんなにウケがいいのか考えてみた。
自分はどの立ち位置で話せばいいのか?
インターネットという海の中で、自分はどこにいるのかわならない。
だから、どっちに向かって言葉を投げればいいのかもわからない。
そこに「はるかぜちゃん」という存在を見つける。
彼女がまず、言葉をなげる。
これを「基準」にすることで、ぼくらは立ち位置を決めることができる。
彼女が存在することで、初めてぼくらは発すべき言葉を持つことができる。
むかしむかし、無垢な「巫女」の口から神様のお告げを聞いて政治的方針を決めていた。
「嵐が来たら種をまけ」みたいな。
大人たちはそれを、まあ都合良く解釈して政治を行ってきた。
大人の政治能力の責任ではなくあくまでも占いの結果とすることで、責任回避できた。
(まあ、未発達な科学で自然とモロに対峙するので、政治的な知恵と言えるけど)
それと同じように科学が発達した現代でも、無垢「巫女」的存在でSNSをコントロールしているのを皮肉に思う。
彼女の発言を大人が利用する。
なにか問題があっても責任を回避できるように。
で、なんでこの「巫女」的存在が子供なんだろうか?と考えてみた。
大人が言えないことを代わりに言ってくれる。
そして大人は「賛成」だの「反対」だの言っておけば、なんとなく意思表示ができる。
悪いやつがいれば一緒に叩くことができる。
きもちいい。
でも、と僕は考える。
いいことを言おうが悪いことを言おうが、どっちにしても責任を持たない。
だから、本当は、すごくいいことを言ってもそれには意味なんて何もない。
あるとすれば、「君のプレゼン能力は素晴らしい!」的な表現技術の善し悪しだけ。
内容には意味なんてない。なぜなら責任を伴わないから。
責任のない言葉に良いも悪いもない。
だから、意味のない言葉に、大人たちが便乗して意見を言っても無意味だと思う。
子供を通して言葉を発することは、媒体として利用された子供は無事では済まないと思う。
大人たちの言葉が彼女を通過する度に彼女に影響を与えずにはすまない。
もしかしたら、SNSを利用することはリテラシーを早く身に付けることができるかもしれない。
また、大人の世界を経験することで大成するかもしれない。
でも、いじめられっ子が世に幅かるからと言っていじめが正当化されないように、大人のエゴに子供を利用して傷つけるのは間違ってると思う。
(うーん、本人は傷ついてないと言うかもしれんが、、、)
つまり、何が言いたかったか、良くわからなくなってきたけど、こういうことかなと思う。
とにかく、子供に頼らず、大人は自分の言葉で語りましょうということ。
それと、子供の発言は愛を持って受け止めることはしても、その責任を伴わない発言にはいい意味で取りあわないようにしようということだと思います。
おわり。。。
嵐だとかいじめ問題だとかで、ついったが賑わっております。
ぼくも、最初は
「なんてまともマトモなことをいう子がいるんだ! しかも、大人以上についったを使いこなしててスゲェ!」
と感心してしまい、思わずフォローしてしまいました。
でも、なんだか最近、彼女を取り巻く領域というか、場というか、がとても気持ちが悪く感じてきて、この気持ちの悪さの正体はなんだろうと、考察してみました。
(あくまでも、気持ち悪さは彼女を取り巻く環境というか「場」であってはるかぜちゃんそのものではありません。ここ強調しとかないとなんとなく怖い。)
- 彼女の言っていることは正論意外のナニモノでもない
でも言ってることって、単なる正論にすぎない。
「子供が言っている」という条件がなければ何も特別なことは言ってない。
なのに、なんで子供が言う正論ってこんなにウケがいいのか考えてみた。
- 言葉を持たない大人たち(神様のお告げをくれる巫女)
自分はどの立ち位置で話せばいいのか?
インターネットという海の中で、自分はどこにいるのかわならない。
だから、どっちに向かって言葉を投げればいいのかもわからない。
そこに「はるかぜちゃん」という存在を見つける。
彼女がまず、言葉をなげる。
これを「基準」にすることで、ぼくらは立ち位置を決めることができる。
彼女が存在することで、初めてぼくらは発すべき言葉を持つことができる。
むかしむかし、無垢な「巫女」の口から神様のお告げを聞いて政治的方針を決めていた。
「嵐が来たら種をまけ」みたいな。
大人たちはそれを、まあ都合良く解釈して政治を行ってきた。
大人の政治能力の責任ではなくあくまでも占いの結果とすることで、責任回避できた。
(まあ、未発達な科学で自然とモロに対峙するので、政治的な知恵と言えるけど)
それと同じように科学が発達した現代でも、無垢「巫女」的存在でSNSをコントロールしているのを皮肉に思う。
彼女の発言を大人が利用する。
なにか問題があっても責任を回避できるように。
で、なんでこの「巫女」的存在が子供なんだろうか?と考えてみた。
- 子供は責任を持たない。
大人が言えないことを代わりに言ってくれる。
そして大人は「賛成」だの「反対」だの言っておけば、なんとなく意思表示ができる。
悪いやつがいれば一緒に叩くことができる。
きもちいい。
でも、と僕は考える。
- 責任を持たない発言は無意味
いいことを言おうが悪いことを言おうが、どっちにしても責任を持たない。
だから、本当は、すごくいいことを言ってもそれには意味なんて何もない。
あるとすれば、「君のプレゼン能力は素晴らしい!」的な表現技術の善し悪しだけ。
内容には意味なんてない。なぜなら責任を伴わないから。
責任のない言葉に良いも悪いもない。
だから、意味のない言葉に、大人たちが便乗して意見を言っても無意味だと思う。
- 僕の感じる気持ち悪さの正体
子供を通して言葉を発することは、媒体として利用された子供は無事では済まないと思う。
大人たちの言葉が彼女を通過する度に彼女に影響を与えずにはすまない。
もしかしたら、SNSを利用することはリテラシーを早く身に付けることができるかもしれない。
また、大人の世界を経験することで大成するかもしれない。
でも、いじめられっ子が世に幅かるからと言っていじめが正当化されないように、大人のエゴに子供を利用して傷つけるのは間違ってると思う。
(うーん、本人は傷ついてないと言うかもしれんが、、、)
- 結論
つまり、何が言いたかったか、良くわからなくなってきたけど、こういうことかなと思う。
とにかく、子供に頼らず、大人は自分の言葉で語りましょうということ。
それと、子供の発言は愛を持って受け止めることはしても、その責任を伴わない発言にはいい意味で取りあわないようにしようということだと思います。
おわり。。。
2012年8月7日火曜日
2012年7月27日金曜日
【雑記】誰が文化を殺すのか?(文楽の話題いついて思うこと)
文楽について話題なので、僕の考えを書き留める。
僕は文楽見たことないので、その良し悪しはわからないけど、芸術や文化、伝統てなものはそれなりに大事だと思う。
行政が援助する、しないは財政やら他の優先すべきことやらモロモロあるだろうから、優先順位をつけるのはしょうがなかくて、それが政治というもんだと思う。
ただ、市長が「おもしろくない」から援助しない、あるいは芸術の内容に注文するのはダメだろうと思う。
・権力者に媚びた芸術はアウト
もし援助ほしさに、市長のコンテンツへの注文を受けたらアウト。
まあ、権力者や金持ちの支援で大成した芸術もあるやろうけど、その場合は、支援者の芸術への理解はかなりのものが必要だろう。
それに、支援者は支援はしてもコンテンツそのものへの注文はやめたほうが、発展すると思う。たぶん。
無知な支援者がコンテンツに口を挟むと芸術は死ぬ。何となくそんな感じがします。
・文楽みたいな古典芸能こそグローバルで戦える可能性を秘めている。
はっきり言って、文楽見たことないし、たぶん見ても僕には難解だろうと想像する。
だけど、その中には日本伝統の価値観やら美意識やらいろんなものが凝縮されてるはずだ。
それをわからないからといって、鶴の一声で「わかりやすく」「おもしろく」変えてしまうと、独自の表現が殺され、陳腐化する。
某市長は、ハリウッド映画のように誰でもわかるものがグローバルに戦えるものだと思っているのかもしれない。
でも、本当にグローバルに戦えるものは、文楽みたいな日本独自の世界観を持ったものだと思う。
(なにかの資料で、外国人の日本のイメージは漫画やポップアートより、古い伝統のほうが上に来てたし)
すぐには世界展開なんてできないかもしれない、でもいつ、どういった形でその価値が見いだされるかわからない。
使い道のわからないレアアースが科学の発展で思いもよらない価値を産み出すように。
だから、できるだけ古典芸術は守っていくべきだと思う。
財政がヒッパクしていて、切らなければならないなら慎重に議論すべきだと思う。
とまあ、考えました。
で、タイトルの、誰が文化を殺すのかについてだけど、それは結局一度も文楽見たことない僕自信なんだろうなと思います。
某市長のいざこざは、表面化した部分だけで、根底にあるのは僕らの無知だと思います。
ブルジョア階級が芸術を保護するって考えもあるかもしれないけど、この情報社会じゃ、僕それなりに責任ちゅうモンがあるような気がします。
(あいかわらずまとまりません)
文楽が日本から消えて、youtubeで外人が再発見して
「あ、やっぱり文楽よかったんやん。でももう演じるひといねーしwww」
なんて恥ずかしいことにならなければいいと思います。
僕は文楽見たことないので、その良し悪しはわからないけど、芸術や文化、伝統てなものはそれなりに大事だと思う。
行政が援助する、しないは財政やら他の優先すべきことやらモロモロあるだろうから、優先順位をつけるのはしょうがなかくて、それが政治というもんだと思う。
ただ、市長が「おもしろくない」から援助しない、あるいは芸術の内容に注文するのはダメだろうと思う。
・権力者に媚びた芸術はアウト
もし援助ほしさに、市長のコンテンツへの注文を受けたらアウト。
まあ、権力者や金持ちの支援で大成した芸術もあるやろうけど、その場合は、支援者の芸術への理解はかなりのものが必要だろう。
それに、支援者は支援はしてもコンテンツそのものへの注文はやめたほうが、発展すると思う。たぶん。
無知な支援者がコンテンツに口を挟むと芸術は死ぬ。何となくそんな感じがします。
・文楽みたいな古典芸能こそグローバルで戦える可能性を秘めている。
はっきり言って、文楽見たことないし、たぶん見ても僕には難解だろうと想像する。
だけど、その中には日本伝統の価値観やら美意識やらいろんなものが凝縮されてるはずだ。
それをわからないからといって、鶴の一声で「わかりやすく」「おもしろく」変えてしまうと、独自の表現が殺され、陳腐化する。
某市長は、ハリウッド映画のように誰でもわかるものがグローバルに戦えるものだと思っているのかもしれない。
でも、本当にグローバルに戦えるものは、文楽みたいな日本独自の世界観を持ったものだと思う。
(なにかの資料で、外国人の日本のイメージは漫画やポップアートより、古い伝統のほうが上に来てたし)
すぐには世界展開なんてできないかもしれない、でもいつ、どういった形でその価値が見いだされるかわからない。
使い道のわからないレアアースが科学の発展で思いもよらない価値を産み出すように。
だから、できるだけ古典芸術は守っていくべきだと思う。
財政がヒッパクしていて、切らなければならないなら慎重に議論すべきだと思う。
とまあ、考えました。
で、タイトルの、誰が文化を殺すのかについてだけど、それは結局一度も文楽見たことない僕自信なんだろうなと思います。
某市長のいざこざは、表面化した部分だけで、根底にあるのは僕らの無知だと思います。
ブルジョア階級が芸術を保護するって考えもあるかもしれないけど、この情報社会じゃ、僕それなりに責任ちゅうモンがあるような気がします。
(あいかわらずまとまりません)
文楽が日本から消えて、youtubeで外人が再発見して
「あ、やっぱり文楽よかったんやん。でももう演じるひといねーしwww」
なんて恥ずかしいことにならなければいいと思います。
2012年7月16日月曜日
長男 3歳の誕生日プレゼント
この間、長男の3歳の誕生日でした。
誕生日プレゼントにかこつけて、まあ、必要だろうなと思うものをあげることで、親子ともにWin-Winの関係を作れたと思います。
- プレゼント1 お道具箱
懐かしい感じのお道具箱。
軽くて、しっかりしたつくりでいい感じです。
ただ、息子的にはこれも「プレゼント」とは認識していなかったようです。
ただのプレゼントの入れ物だと思ってたみたいです。
- プレゼント2 お道具箱の中身
お道具箱の中に、おもちゃよりもまさに道具よりのものを入れてプレゼントしました。
・しまじろうのはさみ
たかがはさみだけど、けっこうなお値段です。ただ、良く切れます。
・スタンプセット
ライオンのスタンプです。スタンプ台を水色と黒にしましたが、すでに色混ざってえらいことになってます。
・ぞうさんのセロテープ
セロテープです。
このほかに、カーズのシールがあったけど、一瞬でなくなりました。
- プレゼント3 水筒
コップ付の水筒。
以下の要件を満たす水筒をえらい探し回ってやっといいのを見つけました。
・コップ付
・ステンレス
・ストラップ付
・子どもむけでかわいい
最近の水筒は、直接口つけるタイプが多いし、
コップ付のやつはストラップがないとか
子供向けっぽいかわいいやつはプラスチックのやつが多いとか
あんまりいいのがなかったけど、これはなかなかよかった。
シロクマとか、パンダのタイプもあったけど、
息子はキリンが好きなのでこれにしました。
2012年7月14日土曜日
くるまとじてんしゃ
こどもが児童館でカブトムシのツガイをもらってきた。
嫁にしては上出来で、ペットショップで虫かご(というよりケース)と、土、えさ用の皿と昆虫用ゼリーを買ってきて、彼らの住居環境を整えた。
嫁はカブトムシを触れなかったらしく、上の子(当時2歳)がカブトムシをつかんでケースに入れ替えたらしい。天晴れ!
よって、命名権は上の子に与えられ、ついた名前が「くるま」(♂)、「じてんしゃ」(♀)となった。
奇抜な名前で、イカしてるとおもうけど、紛らわしい。
「くるま調子どう?」
「じてんしゃエサ食べた?」
とか言ったらみんな「???」ってなってしまう。
まあ、いいや。
で、昼間は二匹とも土の中からあまり出てこないから、子どもはあまりカブトムシは見れない。
僕が仕事から帰ってくるくらいから、ごそごそと動き出す。
見ていると、くるまがエサを独占してて、じてんしゃがえさを食べようとすると、くるまは体当たりして攻撃する。
見ていてつらくなるぐらい容赦がない。
じてんしゃエサ食べてるんかな~と心配してたけど、朝起きたときはくるまは寝てて、じてんしゃだけおきてたので、食べれてそうでした。
生き物を見ているのは楽しいです。
結局、お父さんが一番楽しんでいます。
はい。
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