2015年5月26日火曜日

【絵本】『しあわせハンス』/何かを理解できるということは、本当は何にもわかっていないということである

最近、フェリクス・ホフマンにはまっている。

絶版本『しあわせハンス』を絵本屋さんで発見したので、衝動買い。




しあわせハンス―グリム童話 (世界傑作絵本シリーズ―スイスの絵本)
グリム
福音館書店
売り上げランキング: 736,834


あらすじは、わらしべ長者の逆パターン。

ハンスが手にした金塊が馬→牛→豚→ガチョウと、どんどん物々交換されて、最後には何にもなくなってしまう。だけど、ハンスはとても幸せでした、というお話。
 

息子(五歳児)にこの本を読んであげた第一声は、「よくわからん」だった。


息子は幸せ者だと思う。


この物語が理解できるということは、登場する物の価値について、その良し悪しが判断できるということである。

その価値がどんどん下がっていって、最後にはなくなってしまうが、ハンスは幸せであるというところに教訓がある。(他にも教訓はあると思うけど)


ハンスは、一般的な物の価値にとらわれないからこそ幸せである。

物の価値にとらわれない目で見れば、この物語は「わけがわからない」物語である。

つまり、(欲にとらわれない)幸せ者は、『しあわせハンス』の物語の意味が解らない。

(欲のせいで)幸せになれない者は『しあわせハンス』の物語の意味はよくわかる。

(そこに共感するかどうかは別問題として。そして、物の価値とうまく付き合いながら幸せを感じる人は別として。)



何かを理解できるということは、本当は何にもわかっていないんだということ。

そういうことも世の中にはある。


物欲に負けてこの本を買った僕は、ハンスの幸せには程遠い。