TLにこんなのが流れてきた。
武井壮が語るスポーツが上手になるコツが説得力ありすぎ
とても説得力がある。
だけど、たぶんこれを実践しても、多くの人はスポーツうまくらなないだろうと思った。
いや、少しはうまくなるかもしれない。だけど、劇的にうまくなることはないだろうと思いました。
なぜそう思うか、考えてみた。
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たぶん、この方は嘘は言っていない。
自分の経験を語っている。
しかも、情熱にあふれていて、スポーツを心から愛していることがわかる。
それが、話の説得力を生んでいる。
とても好感を持てる。
だけど、成功体験を語る多くの人が陥りがちな語り方をしている。
それは、「今の私が成功したのはこういう風にしてきたからだ。だから、みんなこうすればうまくいくはずだ」という語り方だ。
みんな、これを聞いて、「〇〇になるために××をしよう」と思う。
だけど、この考え方ではたぶん失敗する。
たぶん、成功した(する)人は、ベクトルが逆なんだと思う。
つまり、「××をしていたら、なんか知らないうちに○○になっていた」というベクトルだ。
おそらく、この武井さんという方は、「肉体を制御すること(あるいはできるようになること)が死ぬほど好き」なんだろう。
自分の肉体がどうあるか、どうすればどう動くのか、そいうことに死ぬほど興味があって、それを突き詰めていく。
その過程で、”たまたま”スポーツというジャンルで花開いたんだろう。
(後で書くけど、この”たまたま”というのがとても重要だと思う。)
だけど、それを語るときは、なぜか、「自分がスポーツをできるのは、こういうことをしてきたからだ」という言い方になる。
本当は「肉体に興味がある自分だから、結果的にスポーツがうまくなってしまった」という方が実際に近いんじゃないかと思う。
だから、冒頭の動画の話をフムフムと聞いて、そのまま実践しても、たぶんうまくいかない。
まず、肉体のコントロールに愛情を持っているかが問われるし、持っていたとしても必ずスポーツの分野で花開くとは限らない。武井さんがその分野でうまくいったのは”たまたま”だ。(といったら失礼かもしれないけど)
すべての人が、まったくその通りにして、同じ分野でうまくいくなんて限らない。
何かで成功するというのは、自分の好きなこと興味があることについて、とことん突き詰めていくしかないんだろう。それも、愛を持って。
そして、悲しいことに、それによって自分が望む結果が得られるとは限らない。と言うより圧倒的にその確率は低い。
だけど、自分では望んでいなかった、別の何かを得られる可能性は高いと思う。
そして、その別の何かを得たときに「何かしらんけど、なんかすごいものを手に入れてしまった!」と思えた人だけが、「私はこうやって成功した」という資格を持てるんだろう。
たぶん、成功する人は、「愛を持って何かに打ち込む」ことと、「何かすごいものを手に入れた」ことに気付くのがうまい人だと思う。
反対に、何かを手に入れることができたとしても、その価値に自分で気付けなかった人は永遠に満足を得られないだろう。
なかなか難しい。
こんな、「成功する方法」みたいなのは、面白みもないし、即効性もないし、だれも相手にしてくれないだろう。
しかも僕みたいな凡人が語っても何の説得力もない。
だからこそ、成功体験者の「こうすればうまくいく」という情報は人気があるんだろう。
追伸。
そもそも僕は、スポーツとは突き詰めれば己の肉体(あるいは精神)を制御することこそが目的だとおもう。
スポーツが手段で、肉体の制御は目的だと思う。
でも、冒頭の動画では、スポーツが目的で、肉体の制御は手段になっている。
僕は、自分の肉体を完全にコントロールできた時点でほとんど人間としての達成をしているし、スポーツの役割は終わっていると思う。
もちろん、卵が先か鶏が先かという話ではあるけども。
スランプと言うならば、スポーツをうまくすることを目的化しすぎて、自分の肉体を動かすという喜びそのものを忘れることにあるんじゃないかと思う。
まぁ、僕はスポーツの専門家でも何でもないので、異論はもちろん認めます。
そして、この武井さんという人のことを全く知らないのに想像だけで書いています。ごめんなさい。