2015年9月15日火曜日

恐竜

ティラノサウルスの子供と、小型肉食恐竜の大人ってどうやって区別するんだろう。

骨だけで見分ける研究者ってすごいと思う。

2015年9月12日土曜日

【感想文】『指輪物語』/ありとあらゆる教訓が詰まっている

『指輪物語』読了。
 
物語のありとあらゆる教訓が詰まっている、とりあえず今書き留められるだけ書き留めてみる。


文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)
J.R.R. トールキン 瀬田 貞二 田中 明子
評論社
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強大な敵に立ち向かうのではなくて、強大な力を捨てに行く

指輪物語は、強大な敵を倒しに行く物語ではない。
強大な力を持った指輪を捨てに行く物語である。

ある意味では、強大な敵そのものよりも、強大な敵が現れるかもしれないという状況のほうが恐ろしい。

指輪を持った者は強大な力を手に入れる。

だからみんなその力を使いたい。

だけど、もしその力を手に入れたとしたら、それは、その者自身がサウロンになる。

だから、指輪を捨てるしか方法がない。

そしてそれはとても難しいことである。




人間の成長とキャラクター

ホビット

ホビッとは、子供。
彼らは背負うものがない。
行動の基準は、好奇心、友情、正義感、使命感、忠誠心、慈悲などである。

人間

人間は青年。
彼らは、ホビットと違ってそれぞれ守るものがある。

ホビットのように、単純な動機で動くことができないし、かといってガンダルフの知性には遠く及ばない。

迷い、苦しむ。

それゆえに深みがある。

賢者

彼らは父親である。
ガンダルフは良い父性の化身である。
彼がいれば、安心する、すべてうまくいく。
だけど、彼には彼の世界がある。
常に、そばにいてくれるとは限らない。
父親が不在の時に、青年や子供たちは自分の力で世界と向き合わなければならない。
そして、父親はいずれ去っていく。

それが、 自立である。


なので、「ガンダルフは肝心な時にいない」のである。


サルマンは悪い父性の化身である。
ある時はその魅力的な声で誘惑し、ある時はその知識と恐ろしい言葉で襲いかかる。
父性は、子供たちをコントロールしようとする。
いつかは子供たちは、自分たちの力で悪しき父性を乗り越えなければならない。

それも自立である。


そのほかのキャラクターと人間を取り巻く環境

冥王

冥王は環境である。
冥王自体は、実態として登場しない。
実態として存在しないにもかかわらず、世界はそいつを中心に回る。
こいつは、村上春樹でいうところの、リトルピープルや、システムや、壁に近い存在なんだと思う。

僕らが本当に戦わないといけないのは、目には見えないものである。

エルフとドワーフ

エルフやドワーフは、他者である。
彼らは、感情移入の対象ではなく、あくまでも隣人である。

合わせ鏡のキャラクター

指輪物語に出てくるキャラクターは、それぞれ対になるキャラクターがいる。

フロドxゴクリ

どちらも指輪に魅せられた者同士。
ゴクリはある意味ではフロドの未来の姿である。
だからこそ、フロドはゴクリを殺せなかったのではないだろうか。

アラゴルンxボロミア

どちらもたくさんの人間の命を背負っている。
ボロミアは精神的に弱く描かれているが、ある意味では一番人間味のある人物ではないだろうか。

ガンダルフxサルマン

どちらも父性を体現している。物語の描写でもガンダルフとサルマンが見分けがつかないシーンもある。
ある意味では、二人は同一人物といってもいいのかもしれない。
強力な父性を持った父親を別の角度から見ただけなのかもしれない。


死中に活を見出す方法

冥王サウロンは邪(よこしま)なそんざいである。
だから、邪な考えに縛られる。

指輪を持った者は指輪を使うとしか考えることができない。

指輪を持った者が指輪を破壊する(それも敵の懐に飛び込んで)なんてことは夢にも思わない。

そこにこそ、希望がある。


敵の裏をかくには、もっとも困難と思える道をあえて行くことが大事。

詩の力、言葉の力

指輪物語にはたくさんの詩がでてくる。
物語の中で、詩が重要な役割を果たしている。

詩というものには力がある。



また、魔法使いたちは、あんまり魔法を使わない。
言葉で戦う。
知性こそが力である。


見るということ、知るということ

見ること、知ることはとても重要である一方、それに耐えられるだけの力がないと、恐ろしい結果になる。
見たい、知りたいという誘惑の向こうで、サウロンはいつでも待っている。
けれども、それに耐えられるだけの力と勇気を持った者には、大きなチャンスを与える可能性もある。
サウロンを揺さぶることができるかもしれない。

見ること、知ることには覚悟が必要である。

最後にものをいうのは慈悲の力


指輪物語の一つのテーマとして、慈悲の力というものがあると思う。
ガンダルフは一貫して、ゴクリを殺してはいけないという。
フロド、サムもそれに従い、どんなに裏切られようと、最終的にはゴクリを許す。

これが、最後の最後でものいう。


滅びの山にたどり着き、いよいよ指輪を捨てようとしたとき、フロドは誘惑に負けてしまう。

そこへ、ゴクリが現れて、指輪と一緒に火口へ落ちていく。

指輪を滅ぼしたのは、最後までゴクリを殺さなかった、フロドとサムの慈悲の力である。

どんに強い正義感や使命感でも達成できなかったことを、慈悲の力が巡り巡ってやり遂げたのである。

本当に大事なことは、自分自身の力でやるのではなく、自分が誰かに施したことが、回りまわって思いもよらないところで 達成するものである。