2012年12月26日水曜日

3歳から始めるArduino!

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる 』に触発され、”Arduinoをはじめようキット”を購入。

クリスマス後の26日に届く。
Arduinoをはじめようキット
Arduinoをはじめようキット


つい興奮し、3歳の長男の前で、


「お父さんのおもちゃが来たよw。 これで一緒に遊ぼう!」


と不用意に言ってしまう。


長男はすぐに遊べると思って、興奮してしまい、遊ぶ気満々。


ぼくが、


「組み立てて、プログラム組んでから、、、勉強もしないといけないし、、、」


と言っても理解できるわけもなく、臨戦状態。



仕方なく、不安ながら子供と一緒に開封。



中にはいかにも危険な細かいコードやら抵抗やらLEDが詰まったクリアケースが。





嫌な予感を必ず実行に移してくれるのは子供の性なのか。


みごとにクリアケースの中身をぶちまける。




それでも平常心を保ちながら、

「しょうがないなぁ」


とかいいながら、床に散らばったコードや抵抗を拾い集める。




四つん這いになって部品を拾い集めてるとき、長男が


「お父さんの背中にくっついたー」


とか言って、何かをくっつけてきた。僕は


「なにw?」


とか言って、立ち上がると、


バーン!!


とかいう破滅の音が聞こえた。


長男がくっつけたというのはArduinoの基盤で、一番重要なやつ。


しかも、くっつけてなくてただ乗せていただけなので、立ち上がると勢いよく地面にたたきつけられた。



父は、血の気が引き「少し休む」と言い残し、寝室で凹んでました。




その間、長男の

「あそびたかったのにww」


という泣き叫び声でかわいそうになったので、少し遊んでやることにしました。
 
ケーブルとか抵抗とかLEDを穴に突っ込んでレゴ的な感覚であそんでみました。



内心はまたぶちまけたり、部品を折ったりしないか冷や冷やしながら。

そして、落ちた時の衝撃で壊れてないか不安に思いながら。



で、できた作品がこちら。


一人で作った初めてのArduino



父との合作





とりあえず、子供の好奇心を満たし、そそくさと撤収。


願わくば忘れてしまってほしい。




子供が寝てから、Arduinoを動かしてみましたが、なんとか問題なく動くようでほっとしています。



こんな感じで動きました。


今回は、オライリーの参考書Arduinoをはじめよう 第2版 (Make:PROJECTS)を、オライリーのサイトから電子書籍(PDF)を購入してます。

Send to Kindleして、Nexus7で見ながら進めてます。こんな感じ。

Nexus7 のKindleアプリで見ながら勉強

Kindle形式に変換しようとしたら、うまくいかなかったので、PDFのまま。

少し見づらい。Nexus7だと少し文字も小さい。

リアルの本より数百円安かったということで良しとする。


目指すは、Nexus7で操作する車のラジコン!!!

(どんだけ頑張ればできるんやろ?)

2012年12月23日日曜日

【書評】MAKERS/熱きおじ様たちの逆襲

クリスアンダーソン"MAKERS"を読みました。




熱い! 熱すぎるぜ!!

「facebook? ザッカバーグ?

若造がビットの世界でチマチマやってんじゃねーぜ、この草食系が!

これからは、アトムだよ! 3Dプリンタだよ! メイカームーブメントなんだよ!」


と、著者の魂の叫びが聞こえてきます。



※本書ではプロダクトなど現実世界のモノを”アトム”、Webやデータなどデジタル世界のものを”ビット”と呼んでいる。


アトム世界の猛者たちが、ビットの進化の波をとらえ再び世界を支配しようと目論んでるようです。



おじ様世代のものすごいパワーを感じました。




この熱気に充てられて、読了後、Arduino初心者向けキットをポチってしまいました。


 

2012年12月17日月曜日

選挙またはお祭り、後ところにより一時ハレ

選挙の日の朝、前日までの喧騒と裏腹に、静かで穏やかで、これから国の未来を決めるんだというなんとなく神妙な気持ちになりました。



選挙は一種のお祭りなんだなと思いました。


選挙カーはある意味神輿なんだな。

神輿がわっしょいわっしょいやって、気持ちを盛り上げる。


クライマックスの「最期のお願い」で一気に僕たちの苛立ち気持ちを盛り上げる。


そして、投票日。


それまでの喧騒が嘘のよう。


あたりに静けさが漂う。


神妙な気持ちになる。


そして、未来を一票にゆだねる。



昔の人は、神様に未来をゆだねたんだろう。



今の人は、政治に未来をゆだねるんだろう。



ゆだねるってことは、無責任に任せっぱなしなんじゃなくて、

相当の覚悟をもってゆだねるんだろう。


良きも悪きも受け入れる覚悟。


覚悟を持つには相当のエネルギーが必要なんだろう。


だから、昔の人はお祭りをしたんじゃないだろうか?



選挙活動はお祭りの代わりなのかもしれない。



まさに、「まつりごと」なんだと思います。





つんく♂はその辺のこと、よくわかってたんだろな。

選挙の日って、うちじゃなぜか、投票行って外食するんだ。

選挙はハレの日。だから特別に外食するんだろう。


ステキな未来を祈って。


ピース。





※お祭りとかハレとかの用語・歴史観は適当です。

2012年12月14日金曜日

【書評】『桐島、部活やめるってよ』はサラリーマンにとっての『日本、終身雇用やめるってよ』

キタコレ!

すごい!

面白い!


示唆に富んでいる!

ぶっ飛んでいる!




以下、ネタバレというか、先入観を植え付ける可能性の内容を含みます。






(もうすぐネタバレ)









最初読んだとき、なんて瑞々しいんだ! なんてイキイキしてるんだ! と思った。


高校生の間隔、狭い世界の中で精いっぱい生きる姿。


特に映画部の「前田涼也」の章なんて胸キュンだった。



「ああ、高校生っていいなぁ」としみじみ感じた。


でも、何か引っかかる。


なんだろう?



ぼくの頭の中で何かが問いかける。



「なんで桐島は部活やめたんだっけ?」


単なる青春物語なら、「桐島が部活をやめる」のは必要ない。


物語の中で桐島が部活をやめた意味はなんだ?


これを考えて、物語を頭の中でリプレイさせてみたら、これは単なる青春物語じゃないことに気が付いて驚愕した。


以下、その内容。


理想の人間像としての「桐島」。その不在が意味すること。



桐島は、イケメンで、スポーツ万能、優等生だ。

しかも彼女はかわいい。



物語の中で「上」とか「下」とかいう表現がしょっちゅう出てくる。


高校生が無意識にお互いをランク付けしている。


相手が自分よりイケてるかイケてないか。



この階層構造のトップに立つのが「桐島」だ。


いわば、この高校では「理想の人間像」だ。


その「桐島」が部活をやめた。


ピラミッドの頂点にいた「桐島」の不在。これは「理想の人間像の喪失」を意味する。


自分たちが理想としていたものが、突如なくなる。基準がなくなる。



今までは、A君とB君がいたら、どちらがよりイケてるか? が生きるために重要だった。



言い換えれば、より「桐島的」な方がランクが上になり、高校生活を有意義に送ることができる。

反対により「桐島的」でないものはそれだけで生きにくくなる。


「桐島的」かどうかは高校生にとって死活問題だ。


ところが、「桐島」が不在になったことでA君とB君はどちらがランクが上か判断できなくなってしまった。


基準がなくなったからだ。


桐島の不在は「価値基準の崩壊」を意味する。



このことに敏感に(無意識にしろ)感じ取ったのが、この物語のの主人公たちだ。




価値基準が崩壊した世界で生きるために




この物語は、非常に残酷だ。


価値基準がなくなった世界に放り込まれた子供たちは、明日からどうやって生きていけばいいのか?


彼らは必至で模索する。


桐島がいない世界で、自分を見つめなおし、他者と向き合い、誠実に答えを探そうとする。


だからこの物語は、瑞々しく、活き活きとして心に迫る。



価値基準が崩壊した世界で生きていくには自分自身の価値基準を持つしかない。


自分の好きなものを好きということ。

自分の好きなことに力を注ぐこと。

誰かの人生を生きるのではなく、自分の人生を生きること。




言葉にしてしまえば、月並みでダサいことだけど、実践するのは非常につらい。

だけど、これを実践するか、もしくはいなくなった「桐島」の幻想を崇め続けるかしか生きる道はない。

ただ前者には希望があるけど、後者にはいつか終わりが来る。


この小説の主人公たちは、桐島不在の世界に希望を見つけ、自分自身の価値観で生きていこうと決めた者たちだと思う。


この子供たちは本当に強く生きていけるだろう。


そんな希望に満ち溢れている。





僕にっての「桐島の不在」とは?

長くなったけれど、ここからが本題だと思う。


よい物語は示唆に富んでいる。


示唆に富んでいるということは、「あなたの場合はどうだろうか?」を問いかけられる。


僕にとっての「桐島の不在」とはなんだろうか?





「桐島、部活やめるってよ」はサラリーマンの僕にしてみたら

「日本、終身雇用やめるってよ」

に等しい。




大学に行って、大企業に就職して、ローンでマイホームを買って、退職して年金生活。


それを理想にして、そのレールに乗っていれば生きていけるはずだった。 


(少なくとも高校くらいまでなんとなくそういう教育の中で育った。)


それが、今はない。


終身雇用だけでなく、あらゆる「常識」がなくなっていく。


価値基準が目まぐるしく変わる世の中を生きていくのためにどうすればよいか?


桐島がいなくなった高校で新しい道を見つけ出した子供たちと同じことが求められている。


古いステレオタイプの人生観を捨て、自分の好きなことやりたいことをするべきだ。


(この辺りは前読んだ『ワーク・シフト』に通じるな)



僕にそれができるだろうか?


ただ、やらなきゃいけないことだけはわかっている。




ジョブズも言っていた

「誰かの人生を生きる暇はない」



「RailsをHerokuにデプロイ」でハマったこと。そしてその解決方法。


Railsを勉強中です。

この参考書を見ながらやってます。






せっかくサンプルを作ったので、公開したくなりました。

いろいろ調べてたら、HerokuというPaaSを見つけました。

無料から始められるようなので、とりあえず独学でHerokuにデプロイしてみました。


で、途中、コケまくりました。


なので、ハマったところを備忘録的に記録します。


参考にしたのは、この辺のサイトです。


参考1 Herokuへのデプロイ方法

http://www.opentone.co.jp/news/release/article03/article0305.html

参考2 SQLite3からPostgreSQLにしてデプロイする方法

http://yuriponx.com/2012/05/08/heroku%E3%81%A7rails3-2%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99/


参考3 エラー画面「We’re sorry, but something went wrong.」から逃れる方法

http://shirusu-ni-tarazu.hatenablog.jp/entry/2012/01/16/031655



以下、顛末。

ステップ1 Herokuへのデプロイ



まず、参考1のサイト、下の方にHerokuへのデプロイ方法が載っています。

これに従って、デプロイしました。

ところが、SQLite3のインストールで必ず失敗してしまいます。




ステップ2 PostgreSQLでデプロイ & アセットのプリコンパイル


参考2のサイトによると、HerokuはSQLiteには対応していらしい。

なので、参考2のサイトに従って、対応しているPostgreSQLを使う設定にした。



※Herokuでは、ローカルとHerokuは同じDBを使うことを推奨しているらしい。SQLiteとPostgreSQLで違う動作したら困るからね。

さらに、アセットをプリコンパイルする必要があるらしい。

これでとりあえずデプロイはできた。

※あとから分かったけど、app/assetsの中の画像を変えるときとかもプリコンパイルをする必要があるらしい。

ステップ3 config.assets.compileの設定をtrueにする


ステップ2でデプロイまではできたけど、ブラウザからサイトを見ると

「We’re sorry, but something went wrong.」

のエラー画面になってしまう。


ここでかなりハマってしまいました。


試行錯誤の末、参考3のサイトを発見。なんとか解決しました。


RAILS_ROOT(Railsのプロジェクトディレクトリ)/config/environments/production.rb
に、
config.assets.compile = false
という項目があるので、これをtrueにします。


だそうです。

これでデプロイしなおすと、 サイトが正しく表示されました。




※せっかく、デプロイできたのですが、参考書を見て作ったモノが著作権的に公開OKなのかわからないので、ここでは、画面キャプチャだけ載せておきます。(画像だけ差し替えました)

こんな感じ(リスト)

こんな感じ(追加・編集画面)


こんな感じのサイトがいとも簡単にできる! のがrailsの魅力のはずですが、独学でやるとハマってしまって大変です。。。一度通過すればあとは楽ですが。。。



以上

Herokuとの格闘の記録でした。


※せっかくここまでできたので、いつか、カスタマイズして公開できればいいと思っています。

2012年12月11日火曜日

まだ間に合う! クリスマス前におすすめのサンタクロース絵本

クリスマスまであとわずか。

 
子どもが借りてきたサンタクロース絵本から、僕が面白いと思ったものを3つ紹介します。

  • サンタクロースのイメージを固定したくない!
  • いろんなサンタクロースの絵本を見せてしまったら、どのサンタクロース像を採用したらいいのかわからなくなる!


とかで、ご家庭によってはサンタクロース絵本はNGかもしれません。


でも、僕はこんなにたくさんの絵本が出るくらい、人々の想像力を掻き立てるサンタに魅力を感じます。

そして、そのたくさんの想像力を見ることができるサンタクロース絵本はとても好きです。


子どもにはいろんなサンタクロース像をみせて、あとは自分自身のサンタクロース像を作り上げればいいと思います。


ぜひ、サンタクロース絵本でクリスマスまでワクワク過ごしてみてください。



オススメ1 『おたすけこびとのクリスマス』





おたすけこびとシリーズ」のクリスマスバージョン。

たくさんの小人たちが、小さいけどリアルな「はたらくくるま」を駆使して、サンタクロースの代わりに子どもたちにプレゼントを運びます。

庭や玄関を小人たちがどうやってプレゼントを運び、家の中に入れるのか? 


細部まで描きこまれていて、見ごたえがあります。


ブルドーザーやクレーン車、ロードローラーがいったいどうやって活躍するのか。


車好きの子供にはたまりません。



オススメ2 『サンタクロースはおもちゃはかせ』




かなりファンキーなサンタクロース像。

子どもにプレゼントするおもちゃをチェックするサンタクロースの様子が、コミカルに愛らしく描かれています。


絵がとても楽しく、文字数も少ないので小さい子供も楽しめます。


反面、おもちゃを管理する棚の様子が「ここはamazonか!?」と突っ込みたくなります。


この妙にリアルな一面は、マネジメントやロジスティクスの勉強になるかも?


子どもから大人まで楽しめる一冊。


とにかく、絵がイカします。



オススメ3 『サンタクロースと小人たち』




 

読み応え、見ごたえのある一冊。

前の2冊とは違い、読んで聞かせる面が大きいです。

なので、これを読むときは、少し時間がかかることを覚悟して読み始める必要があります。


絵は温かく、小人たちのはたきぶりが楽しく、やさしく描かれています。


一生懸命働くこと、一生懸命人生を楽しむことを教えてくれる、とても優しい絵本です。



また、物語の中で、小人たちが子どもの様子を調査しにくる描写があります。


「サンタからプレゼントをもらうためにいい子にしないといけない」

ではなくて

「君がいい子なのは、ちゃんとサンタさんはわかっているよ」

と普段から前向きな姿勢でいられるように、子どもの背中を押してくれるような表現です。


とても、あたたかな一冊です。






オススメは以上です。



これ以外にも、たくさんのサンタクロース絵本があります。


お気に入りの一冊を見つけてクリスマスまでをワクワク過ごしてください。

2012年12月10日月曜日

楽器を弾ける人はまるで魔法使いだ

帰り道、商店街を歩いていたらなぜかChange the Worldが流れていた。

なんだか懐かしくて、Youtubeで検索してみた。

そしてライブ映像を見て、無性に感動してしまった。





楽器のうまい人の手の動きを見ていると、独立した生き物みたいに見えてきて、とても気持ちがいい。


そして、僕の頭の中で、音と手の動きの因果関係がだんだんズレてくる。



ギターの弦をはじくという物理的な行為を超越して、魔術的な力で音楽を奏でているように見えてくる。


まるでハリーポッターが杖を振るように。




頭の中で、手の動きと音楽が分離していくから、


「実は手をとめても音楽が鳴り続けるんじゃないか?」


「音楽の方が手を操っているんじゃないか?」



とか、なんだかわけわかんなくなってくる。



そして、そう感じるときは、音楽に魅せられている。



魔法にかかってしまったんだなぁと思う。




楽器を弾ける人はすごい。


魔法使いみたいだ。





2012年12月8日土曜日

離乳食で超重宝するSTOKKEのテーブルトップ

クリスマスシーズンですね。


このブログでは、TRIPP TRAPPの投稿が好評をただいているみたいなので、調子に乗って、STOKKEのオススメ商品をご紹介します。

そろそろ離乳食を考えておられる方、ぜひアフィリエイトにご協力ください。お子様のクリスマスプレゼントにいかがでしょうか?

STOKKEテーブルトップ




これ、子供用のテーブルトップなんですけど、かなりおすすめです。(まぁ割高です)


僕は、長男の出産祝いで商品券をいただいたので、せっかくだからいいものを、ということで買うことができました。(その節はありがとうございました。)



そしたらまぁ、かなり重宝しています。

モノはこんな感じです。

こんなかんじ。サイズ比較のため、iPhone4と。iPhone4ですよ!


以下にこれのおすすめポイント(および非おすすめポイント)をまとめました。


おすすめポイント


おすすめポイント1 強力な吸盤(滑り止め?)



裏側。吸盤? 滑り止め? の素材はシリコンです。




シリコンの吸盤でテーブルにくっつけるんですけど、これがなかなか強力です。


吸盤というよりも、滑り止めに近い感じです。

なので、木のテーブルでも全然滑りません。

子供の力ではびくともしません。

なので、テーブルトップをひっくり返すとか、落とすとかまずありません。


これ、かなり重要なポイントです。




おすすめポイント2 汁物がこぼれてもだいぶ平気

こぼれてもだいぶ平気。ちょっとわかりづらいけどフチが盛り上がってます。

汁物がこぼれても全然平気です。

べたべたしたものもさらっと拭けます。

テーブルトップのフチが盛り上がっているので、テーブルトップから流れ出ることもほとんどありません。

そしてフチが滑らかなので、角っこにゴミがたまるみたいなこともありません。

(子供はそもそもテーブルがないところに飯をぶちまけるものなので、床に落とされると泣きながら拭く羽目になりますが)

テーブルトップの上にこぼす分にはどんとこいです。


おすすめポイント3 長持ち

長男と次男の二人で3年くらい使ってますが、全く問題なく使えています。

子供だから食器でガンガン叩いているはずですが、いまのところ全然大丈夫です。


たぶんステンレス系のスプーンやフォークでガンガン叩いたであろう、多少の傷みたいに見えるものはありますが、全然問題ないです。


かなり丈夫です。




おすすめポイント


せっかくなので、オススメでないところも紹介しておきます。


おすすめポイント1 絵柄がしょぼい

絵柄いろいろ


テーブルトップ自体は透明で、中の絵柄を変えられます。

僕が買ったときは3枚(表裏で6種類)の絵柄がついてきました。

だけど、いかにもIllustratorのブラシ機能を使った線のタッチがショボいのが残念です。

あと、コピペの多様も。

(もしかしたら、これが出たときは最先端のデザイン手法だったのかもしれません。)

せっかく絵柄を変えられるのにとても残念です。

あと、上の年齢向けに、数字やアルファベットの学習できるっぽいデザインがありますが、テーブルトップで学習させる必要性をあんまり感じません。

(※絵柄にはそれぞれ対象年齢があって、教育的な要素があるようです。うちは無視してますが)


それよりご飯をおいしく見せたいです。。


絵柄を入れ替えるには、吸盤部分をテンプレートのあなに通すんですが、これまた面倒です。
これが絵柄を変えるのを躊躇させる要因かもしれません。
吸盤の部分を穴にねじ込む。これがめんどくさい。



※余談ですが、自分の好きな絵柄をオンデマンドで発注できたらとても素敵なのにと思います。STOKKEさん、いかがでしょうか?


オススメポイント2 一人っ子に使うには割高

「うちは一人っ子で十分」っていうご家庭にはちょっともったいないかもしれません。

高いから。

実際、3歳くらいになると、食事をこぼしまくることはなくなるので、あんまり必要なくなります。
(もしくは、テーブルトップなんかあろうがなかろうが関係ないぐらいひどいことになる)

それにある程度、こぼすと大変だ! ってことをわかってもらわないといけなくなるし。



あと、食べる量が増えてくると、盛り上がったフチが邪魔になると思います。



ですので、一人に使うのは2年程度かなと思います。

2年くらいのために、この値段を出すのかはまぁ、考え物です。

(もちろん、一人っ子だとしても、便利なのは変わりないですが。)

誰かに譲るにしても、食べ物が絡むのでよほど親しい人でないとねぇ。。。


オススメポイント3 テーブルトップの内側の汚れは取りにくい

強力な吸盤ゆえ、いったん内側にゴミやら汁物が入り込むと、ちょっと厄介です。

取り外すのもちょっとコツが入ります。

(絵柄の部分も含め)丸洗いもできますが、日本のキッチンで洗うにはちょっとでかいしめんどくさいです。

(欧米仕様の広いキッチンならいいんでしょうが)

内側に入り込む前に何とか阻止したいものです。


ゴミが内側に入ってしまったの図


オススメポイント4 テーブルの専有面積がでかい

うちの場合テーブルが狭いので、こいつを使う末っ子が一番テーブルの専有面積がでかいです。

(ページトップのiPhone4との比較写真参照。あとちゃんとスペックも見てください)


もし買うとしたら、ちゃんとテーブルのサイズとテーブルトップのサイズ、配置なんかを考えたほうが良いです。


以上

STOKKEのテーブルトップのオススメ、非オススメポイントでした。

なんだか、非オススメポイントのほうが多くなってしまった。。。

だけど、非オススメを加味してもかなり便利です。重宝してます。

離乳食開始が近い方、離乳食でちら勝て大変な方は、ぜひクリスマスプレゼントにご検討してみてはいかがでしょうか。



TRIPP TRAPPと合わせれば、子供と同じ目線でテーブルを囲めますよw。


2012年12月7日金曜日

nexus7が起動しなくなりました。(あるいは製品サポートから見るビジネスモデル)

nexus7の使用感をブログ書こう書こうと思っているうちに、早くもご臨終となりました。


昨日の夜、充電しながら寝て、起きて電源ボタン押しても反応がない。

真っ暗なまま。


「買ったばっかなのに」と泣きそうになりながらいろいろググってみました。


使えそうなのは次の2つでした。

対応1 電源を13秒長押し

参考
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000421212/SortID=15297848/



対応2 初期化

http://support.google.com/nexus/bin/answer.py?hl=ja&answer=2668187



結果

どちらも無反応・・・


しょうがないので、サポートへ電話してみた。



コールセンターの担当者は、結局、上の「電源長押し」と「初期化」を試すように指示。

もちろん画面は真っ暗なまま。



「ダメです」とつたえると、すぐに新品を送ってくれると言ってくれた。



マジですか? すごいですね。


動かないやつは返送すればよいらしい。


もちろん、送料はGoogleもち。




いやあ、Googleさん、対応が素晴らしいですね。



こういう迅速な対応は、ちょっと感動です。



僕が今まで経験した製品サポートは、なんとなくゴネられて、なかなか修理してくれないことが多かった。
(単に僕の運が悪かっただけかもしれないけど)



たぶん、Google的には、端末そのものの値段なんかよりも、早く端末を使ってもらって、さまざまな情報を吸い上げたいんだろう。

(あと、広告収入か)


だから、こんな迅速な対応をとってくれるんだろう。


Googleにとって一番大事なのは情報なんだろな。


そう考えると、送り返した動かない端末は、彼らにとっては「まさに情報の宝石箱やww」って感じだろう。


故障の原因究明や、より良い製品開発なんかに使うだろうけど、ネットワークからでは引き出せない重要な情報がたんと入ってるだろう。。。


(は! まさか、端末回収のために、わざと自爆プログラry)



陰謀論はさておき、とても素晴らしいサポート体制は、モノを売る以外のところの収益モデルがあるからできることなんだろう。




まぁ、iPodとかずっと前からそんな感じだったと思うんだけど、改めて自分で体験すると、少し感動しましたというお話です。


※いつか、使用感を書きたいと思いますが、nexus7かなりいい感じです! モバイルwifi持ってるならかなりオススメです!

※ビジネスモデルなんてすごそうなタイトルつけた割には、薄っぺらい内容ですみません。

※nexus7が起動しなくなったときは「電源長押し13秒」→「初期化」→「サポートへ連絡!」の順で試してみてください。(ただし初期化は慎重に!)


 

2012年12月1日土曜日

冬に歯医者に行く前にやっておくべき、たったひとつのこと

冬に歯医者に行く時は、ちゃんとリップクリームを塗っておきましょう。

唇が乾燥してるのに、いきなり大きな口を開けると、痛いですよ。

僕が「日本を取り戻す」というコピーがイヤな2つの理由。

もうすぐ選挙ですね。

「日本を、取り戻す」というコピーがあります。

僕はこのコピーが嫌いです。

嫌いな理由1
僕には、「(自民党が)日本を、取り戻す」っていう意味合いがとても強く感じられる。

政権を取り戻すことは政党にとって大事だと思うんだけど、それは手段であって、目的じゃない。

政党が望んでいることと、僕らが望んでいることのギャップを感じてしまう。

なんとなく距離感を感じてしまいます。

嫌いな理由2
主語が(自民党)でないにしても、いったい何を取り戻すんだろう?

過去の栄光にすがって、古き良き日本を取り戻したところで、一体何になるっていうんだ?

これまでのやり方をしてたらダメだっていつになればわかってくれるんだ。

取り戻すんじゃなくて、捨てて行かないといけない。
身軽にならなきゃいけない。
新しく生まれ変わらなきゃいけない。

またと戻りするつもりかと思うと、うんざりしてしまいます。

閉塞感を感じます。

さて。

選挙、どうしようかな?

2012年11月30日金曜日

雨男は幸せかもしれない。

僕は雨男です。

小学校の林間学校が大雨でした。
予定していたカヌーに乗れませんでした。

夏休みのキャンプも台風でした。
キャンプが中止になるのが悲しくて、雨の中無理やり親に車を出してもらいましたが、雨がひどすぎて途中で引き返しました。

大学の学園祭も台風でした。
6月なのに台風なんて、自分の雨男ぶりを申し訳なく思いました。

新婚旅行は前日が大雨で、せっかくの、人生初のスキューバーダイビングは、流れ出た泥のせいで視界は5mほどでした。


それでも、と僕は思います。

雨降りで、散々だった思い出は、いつまでも覚えています。

雨降りで残念だったという記憶は、僕が本当に楽しみにしていたことを、大切にしていたことを思い出させてくれます。


そして、雨降りで残念だったこと以上に、記憶にはのこっていないけど、晴れて楽しかった出来事があったはずだということです。


雨男は幸せなのだと思います。

2012年11月27日火曜日

【我が家の妖怪図鑑】No.001 妖怪ちょっきんな

パンツを履かない男の子がいると現れる。

手がカニのようなハサミになっていて、男の子の大事大事を”ちょっきん”と切り取ってしまう。

身長は30cmから50cmくらいで、手を伸ばすと、子供の腰に届くくらいの大きさ。

複数で行動することが多く、油断すると囲まれる。

動きは速く、子供の背後に素早く回り込むので、子供はその姿を見ることが難しい。

パンツを履いていない子供がいる場所を嗅ぎつける。

僅かな隙間でも部屋に入ってくるので、侵入を防ぐことはできない。

パンツを履いていれば、手出しはできないので、大事大事を切られたくなければ、”ちょっきん”される前にパンツを履くしかない。

ちなみに『ちょっきんな』という名前は、柳川の巨星、北原白秋先生の『あわて床屋』から来ていることは言うまでもない。

2012年11月20日火曜日

人はだれでも、好きなときに好きなところに行く権利があると思う

なんか、こんな記事が目に飛び込んできて、とでも悲しい。

再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家) (PHP Biz Online 衆知(Voice)) - Yahoo!ニュース


人間は誰でも、好きなときに好きなところに行く権利があると思う。

それは、子供であろうが、子持ちの親であろうが、爺さん婆さん、厨二病であろうが、誰でもです。

通勤ラッシュであろうが、飛行機でしか行けないところであろうが、関係ない。

好きなときに、好きなところに行けばいい。

快適だとか、迷惑とか、そういう次元の問題じゃない。

これは尊厳の問題だ。

子供の尊厳を守ることは、自分の尊厳を守ることだ。

子供の尊厳を守れない社会は、いつか自分の尊厳を奪うだろう。

だから、僕らは寛容にならないといけない。

たかだか、子供の泣き声くらい笑ってやり過ごしてやらなければならないと思う。

2012年11月17日土曜日

最近お金をみないなぁ。から考えたこと

Fake leather and goldFake leather and gold / Comrade Foot
最近、お金を見ないなぁ。

見る機会といえば、歯医者に行く時くらいかな。

昼飯も社食で食券支給されるし、買い物はだいたい嫁がするし、自分のはだいたいアマゾンだし。


そういえば、前も同じようなことを考えたことがあって、「お金ってこのままなくなるんじゃね?」って思ったので、飲み会の席で友達に


「お金ってシステムはなくなると思うよ」


と呟いたら、


「そんなことないよw」


と一蹴された。


まあ、極端すぎる意見だし、世の中、紙幣や硬貨を使う機会が減っただけで、実際には金は世の中を回っている。

それも、めまぐるしく。

でも、お金が電子化して、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、どんどんどんどん、そのスピードは早くなっていっている。


悟空とフリーザのバトルのように、ほとんど見えない。





あるいは、「ロッズ」みたいなもんかなと思ったりする。


目の前を飛び交っているんだけど見えない、だけどカメラで撮影した時だけ見える変な生物(生物なのか?)。


お金はロッズみたいに、この空間を飛び交っているんだけど、ふとしたきっかけで、一時的に、紙幣やお金となって、財布に入る。


お金は謎の生命体なのかもしれない。





はたまた、お金のスピードはどんどん、どんどん速くなって、そのうち、本当になくなってしまっんじゃないか?

そして、世界を一回りしてパラレルワールドへ、、、


話が変な方向へ行ってしまった。


お金システムがなくなる話だった。




お金を考える上で、クレジットについて考えてみる。

クレジット(信頼)とはよく言ったもので、お金って信頼の残量みたいなもんだ。


ゼロになったら、「お前の信頼がなくなりました」ってことで、なにも買えなくなる。


働くと(価値を生み出すと)信頼が回復する。


また、信頼だから、「こいつは、将来なんかしてくれそうだぞ」と思わせることで、信頼を前借りすることだってできる。



これまでは、便宜上、信頼をお金で表現してきた。




僕らはクレジットカードで、信用をお金に変えて使うことができる。






だけど、この信頼って、お金じゃないと表現できないの?っていったら、もちろんそんなことはない。



お金がなくても、友達の家に行けば採れた柿をもらえることもあるし、知り合いが困っていたら助けてあげる。


藁とお家を交換する人だっているかもしれない。


つまり、物々交換、あるいは「これやるからあれやって」的な直接の価値交換はもともと可能だ。


そこにお金という便利なものを手に入れたので、みんなこれ使おうよってことに過ぎない。


でも、ぼくは、テクノロジーの進化で、お金がなくても直接、信頼のやり取りができるようになるんじゃないかな、とおもっているし、そうなればいいなと思っている。


そして、ソーシャルネットワークはお金を破壊する力をもってると思っている。


「僕がこれをやるから、君はこれをやって」が回ればお金ってほんとに必要なくなるんじゃないかな?


テクノロジーの進化で、人類の叡智とも言えるお金を捨てて原始時代のようなシステムに戻る!


と考えると、わくわくします。



もうすぐ選挙が始まりそうですが、今の日本の政治って「いかに金を使うか」が、焦点だと思うんです。

どの政党が、自分のところに金を落とすか? が重要です。
そして、高齢社会の日本では、ご高齢な政家が、ロートル企業に金を落とすことでしょう。



だけど、お金システムが崩壊すれば、こんな構造も大きく変わると思うのです。


「どうぞ、勝手にお金を取り合ってください。僕たちは別のシステムで価値を交換していますから」といえると思うのです。




とまあ、お金を最近みないなぁとから、妄想が拡散して、収集がつかなくなってきたので、そろそろ終わります。



まぁ、すぐにお金がなくなる可能性は、宇宙人に遭遇するより低いと思うけど、思考実験として、未来を考える手がかりとして面白いと思いました。



おしまい。


※なんか、クレジットに関して、根本的に間違ったこと書いてしまったので消した。

2012年11月16日金曜日

人生は食後のお茶のようなものだ

人生はお茶だ。

食後のお茶だ。

今日は茶柱が立つかもしれない、と期待しながらお茶を入れる。

ああ、今日も茶柱は立たなかったなと思いながら、しみじみお茶を飲む。

ほっと、一息つく。

ああ、茶柱は立たなくても、お茶は美味しいなぁ、と思う。

そして、僕は明日もお茶を入れる。

茶柱が立つことを期待して。

2012年11月10日土曜日

非寛容の王国

むかしむかし、あるところに非寛容な王国がありました。

非寛容な王国には、非寛容な王様がおりました。

非寛容な王様は、大臣を非寛容に扱いました。

大臣は、家来を非寛容に扱いました。

家来は、市民を非寛容に扱いました。

市民は奴隷を非寛容に扱いました。

奴隷は、作物を非寛容に扱いました。

そうして、非寛容な王国では、非寛容なパンを食べて暮らしていました。

おしまい。

2012年11月8日木曜日

世界は暗く冷たいブラックボックス

世界は巨大なブラックボックスでできている。

僕が世界に向けてインプットしたものが、世界がどう処理をしてアウトプットしてくるのか、だれにもわからない。

わかるのは、「原因」と「結果」だけ。

だから、僕は注意深く誰かの入出力を観察する。

誰かのインプットをコピーして、世界に入力する。

そして誰かと同じアウトプットを得られると、僕は心から安心する。

「ああ、よかった。間違ってなかった」と。

だけど、僕は恐ろしい。

コピーしているつもりが、実は少し間違っているんじゃないか?

手順が違っているんじゃないか?

条件が違うんじゃないか?

バージョンは?

世界はブラックボックスだ。

些細な違いが命取りになる。

世界は僕がしくじるのを、じっと待っている。

僕がミスをすると、世界は僕をその真っ黒なブラックボックスに引きずり込んでしまうだろう。

暗く冷たい世界に閉じ込められ、永遠に出てこれなくだろう。

僕は、ますます用心深くなる。

世界へのインプットが減っていく。

世界からのアウトプットが減っていく。

そして僕はますます孤独になっていく。

2012年11月3日土曜日

【感想文】1Q84 / リトルピープルなんかぶっ飛ばせ!

秋の夜長に村上春樹の『1Q84』の感想文を書きます。

(ブクログに書いた内容をまとめたような感じです)

読書の秋ですが、読んだのは初夏です。。。







ネタバレ含みます。ご注意を。




○。

この物語は「愛と意志の力で運命に立ち向かうラブストーリー」だと思います。


これだけを文字に起こしてみると非常に陳腐ですが、まあ、つまりそういうことなんだと思います。



運命について

この物語にはたくさんの不思議な現象が起こります。

なかでも「リトルピープル」が重要な役割を担っています。


ぼくは、「リトルピープル」はそこらへんに充満している「悪い予感」や「嫌な空気感」みたいなものなんだと思います。


例えば、僕が何か新しいことを始めようとしたとします。

すると友人が「失敗するからやめとけよ」と忠告してくれます。

僕はだんだん不安になってきます。

些細なことが気になり始め、あらゆるものが「やめとけ」と言っているように見えてきます。



この「なんとなく嫌な予感」や「不穏な空気」みたいなものが「リトルピープル」なんだと思います。




このリトルピープルに対抗するのが「愛」と「意志」の力なんだと思います。


意志の力

この小説の中で出てきた僕の好きな言葉が「チェーホフの裏をかけ」というセリフです。



『1Q84』には、不吉な象徴として「拳銃」がでてきます。

チェーホフの原理でいうと、そのままでは弾が発射されてしまいます。

そこで、登場人物のタマルは「弾が発射される前に回収される状況」を提示します。

つまり、チェーホフの原理でいうなら、「物語の中で、拳銃が回収される状況が提示されたなら、拳銃は発射される前に回収されなければならない」わけです。

ちょっとややこしいですが、「チェーホフの裏をかけ」というのはそういう意味だと思います。



「拳銃が発射される運命」が勝つのか、「発射されずに回収される運命」が勝つのかそれはわかりません。

しかし、何もしないで「拳銃が発射される運命」に従うよりましです。

うまくいくかもしれない、いかないかもしれない。それでも僕らはただただ運命に流されるのではなく、自ら運命を切り開いていくことだってできる。

運命を切り開こうとする強い意志が、拳銃というリトルピープル的存在に対抗する力の一つだと思います。



愛の力

リトルピープルに打ち勝つためのもう一つの力はやはり「愛」です。

「1Q84」へ迷い込んだ青豆と天吾はあるときお互いが同じ「二つの月」を見ていることを知ります。

「1Q84」なんて得体のしれない世界において、同じものを見ているという実感は、とても心強いものなんだろう。



1Q84だろうが、1984だろうが、はたまた1球84だろうが、確実な世界なんてどこにもない。

僕らは不確かな世界で生きていくしかない。


だからこそ、そんな不確かな世界の中から同じものを見つけ出せる相手と巡り合い、共に生きることがとても重要なんだと思います。


どんなにリトルピープルが邪魔をしようが、再び離れ離れになろうが、また同じ月を見つけ出せる。

そういった関係が、つまり「愛」なんだろうと思いました。





まとめ

僕らの生きている世界にはリトルピープル的存在に満ちている。

だけど、自分の手で運命を切り開けるんだという力強いメッセージを感じました。




※村上春樹の物語はとても示唆に富んでいます。僕の解釈とはまた別の解釈も当然あると思います。
僕の解釈に対するご意見や、「こんな見方もあるよ」っていうのがあればぜひ教えてください。

2012年10月30日火曜日

未来の保育サービスについて考えてみました 

IMG_0738IMG_0738 / nishioka



最近読んだ『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 』に感化され、 未来の保育サービスについて考察してみました。

※保育についてイメージで語っているので、ぼくの無知のためその道の方に不快な思いをさせたらごめんなさい。

※今回は保育園的要素も幼稚園的要素も保育でまとめています。





「ワークシフト」にかかれてたように、これからは個人の時代です。

保育園という枠組みを取っ払われ、「どこにあずけるか?」ではなく、「だれにあずけるか?」を考える時代が来ます。

それにともなって、保育サービスが大きく変わると思います。

【ソーシャルメディアによるマッチング】


ソーシャルメディアの普及で、これまでのように企業に依存する必要がなくなり、個人で活躍できる時代が来ます。

保育園も例外ではなく、保育士は園に依存することなく、個人で活躍できるようになります。



これまでは、保育園単位、幼稚園単位で保育のブランドか形成されていました。

しかし、これからは、保育士個人がブランディングをするようになります。

保育士はFacebookなどで、自分のプロフィール、経験、保育プラン、(顧客の了解を得た上で)日々の活動内容などを公開します。

親は、そのなかから、都合や保育方針をキーに保育士を選ぶことができます。

親は、選択の幅が広がる反面、自分に合った保育士を探し当てるリテラシーが必要となります。

保育士は、自分の裁量が増える反面、過酷な競争にさらされます。


【保育士同士のコワーキング】

個人がブランドになると、経験豊富ベテランは人気が出るかもしれません。

反対に、新米先生が信頼を得るのは難しくなります。


また、個人だと看れる子供の数も知限れます。園のようなスケールメリットをだせません。


これらの問題は、保育士同士の協力で解決できると思います。


個人が活躍できるということは、孤独に頑張るという意味ではなくて、園に依存することなく、人と人が結び付き、協力できるということです。

新米さんは、まずベテランさんのお手伝いから実績を積むこともできます。

また、若者同士でアイデアを出しあい、ベテランに負けない新しいサービスを立ち上げることもできます。




【異業種とのコラボレーション】

人は一人では才能に限界があります。

でも、いろんな人と協力できればたくさんのことができます。

ミュージシャン、デザイナー、農家、たくさんの人と繋がり、協力を得ることができる人は、保育士として魅力的です。

単純に保育の経験だけでなく、繋がりというブランドが顧客を呼び込みます。



【会計プラットフォーム】


ネットサービスの進歩で、今ではペイパルやクレジットサービスが比較的手軽に利用できます。

園から給料としてもらうというスタイルから直接利用者と契約するスタイルが簡単にできます。

また、税金の手続きを代行してくれるサービスもあるようです。


【インフラ整備】

保育園や幼稚園の設備を揃えるのは大変です。

そこで誰でも利用できる保育スペースができてきます。


乳児向けには最近の総合商業施設のベビールームを広く快適にしたイメージです。

幼児向けには、ホールや遊具、ピアノがあるような児童館的スペースです。

保育士が、設備利用料を払い、予約して保育スペースを利用します。

必要なときに必要なものだけ有料で施設を利用することができます。

【預ける親のワークスタイル】

もちろん保育士だけでなく、いろんな業種が個人化します。ノマド的な働きかたが増えるでしょう。

そこで、保育スペースには親が働けるコワーキングカフェと一体化したものも出てくると思います。

これまでは、「子供を保育園に預けてその間に働く」というように、子供と親が分断されたスタイルが一般的だったと思います。

これからは、子供のそばで、子供を見守りながら働くことができればいいと思います。

乳児なら時々授乳をしながら働いたり、お昼ご飯は子供と一緒にご飯を食べたり。

そういった、親と子供のコミュニケーションをサポートするような保育の在り方もいいと思います。



親、子供、保育士みんなでわいわいやりながら生活していくコミュニティになればいいと思います。


【保育園の役割】

これまでは、保育園がブランドや経営の部分を担ってきましたが、個人の台頭で保育園の役割は変わってくると思います。

保育園には本当に充実した保育インフラがあります。

これを、保育士が利用できるように提供することができます。

また、保育園は保育士同士のコラボレーションを支援したり、プロデュースしたりするかもしれません。

いずれにしても、保育園はこれまでのように、「園児を囲う」のではなく、「保育士と取引する」というイメージなるのではないでしょうか?

【課題1 個人への信頼を築けるか】

大事な子供を預けるのは余程の信頼がないと難しいと思います。

個人にそれだけの信頼をソーシャルサービスで結ぶことができるのか?

難しいところですが、facebookのような実名でオープンなところでは可能性はあると信じたいです。


【課題2 補助の問題】


保育園は、認可だと補助が出ます。また、利用者の収入によって料金が減額されます。

個人の保育サービスでは、(僕が知らないだけかもしれませんが)補助は(今のところ)でません。

個人の保育サービスにも補助が出るような仕組みが必要だと思います。


【課題3 質の悪いサービス】

だれでも保育ができると、質の悪いサービスを出す人が出てくるかもしれません。

そういった人から子供や親をどう守るかが課題です。

ひとたび問題が起これば、「個人で保育サービスなんてけしからん! ましてやソーシャルネットワークでマッチングなんて出会い系みたいなもんだ!」なんて言われたら、変に規制がかかってしまいます。


そうなると、こういう仕組みで得られるはずのメリットが受けられなくなります。


質の悪いサービス、悪質なサービスを出さない工夫が必要です。


【課題4 モンスターペアレンツ対策」

いわれのない苦情で保育士が苦しむかもしれません。

保育園という組織がない分弱い個人をどう守るか?が課題です。



【どこにビジネスがあるか】

以上の考察から、ビジネスのポイントは次の3つかなとおもいます。

  • 保育ソーシャルサービス
  • 保育スペース貸し出しサービス
  • 保育サービス
保育ソーシャルサービスは、「保育士と預け親のマッチングサービス」、「保育士同士のコワーキングサービス」を含みます。

【まとめ】

そもそも何でこんなことを考えたかというと、「昔は父親が働いて母親が子供を育ててた、今は不景気だし、女性の社会進出でみんな子度をも預けて共働きで行こう!」 みたいな空気感があるけど、折角、テクノロジーも進化してるんだし、もっといい方法ないの? 本当に子供を預けるのがベストなの? っていう疑問がありました。

働く時間と子供といる時間を分断して考えると、一日24時間のうち何時間働いて何時間子供といるかをトレードオフで考えないといけない。


だから、発想を変えて、子供と一緒にいながら働ける環境を作るには? って考えてて、コワーキングカフェ的な保育園があればいいなと思いました。


それなら、保育士も親もみんな一回バラバラの個人になって、もう一回保育を構築してみようと考えたら、こういう未来像になりました。

子供と親にっとってよりよい未来が来ればいいと思います。



以上


ご意見、ご感想などあればよろしくお願いします。

2012年10月24日水曜日

声に出して読みたい絵本

小学校の宿題の「本読み」がなくなってから、本を音読することがなくなった。

だけど子供ができて、絵本を読み出すと、これがまた楽しい。

絵本は、もちろん絵も魅力的なんだけど、音読したときの響きも魅力のひとつだ。

そこで、ぜひ声に出して読んでほしい、おすすめ絵本を紹介したいとおもいます。



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1、『ぐりとぐら』




言わずと知れた、ベストセラー『ぐりとぐら』。

ゆるキャラのぐりとぐらと、意外性のあるストーリーがとても魅力的だけど、ぐりとぐらの台詞の掛け合いが絶妙だ。

全体を通して非常にリズミカルで、読んでいてとても楽しい。

間の取り方もすばらしい。

次のページへの期待を持たせるタメが、子供のワクワクを引き立てる。

毎回、読み方を工夫しても、「もっと楽しく読めるんじゃないかな?」と向上心が沸いてくる絵本です。

最高です。


2、『いいおかお』




ふうゃんの「いいおかお」をいろんな動物が真似します。

この作者の絵はふんわりしててとても好きなんだけど、動物たちの台詞もとてもいいです。

単なる繰り返しではなく、展開に意外性がありたのしい。


一つ一つはとても短いセンテンスなんだけど、

読み方に緩急をつけると、とてもいい味が出ます。


なによりも「いいおかお」と言う響きがすばらしい。




おすすめです。



3、『ふねなのね』




ぼくの大好きな100%オレンジの絵本。文は中川ひろたか。シリーズもので、他にも『バスなのね』『おうちなのね』がある。

子供のごっこ遊びが、いつのまにか本物になっている不思議で楽しいシリーズ。

なかでもぼくは、この『ふねなのね』が大好きだ。

壮大な冒険、危機一髪、友情。

ワニくんとのコミカルなやり取りは読んでいて楽しい。

そして、なんといっても

「ふねなのね かわなのね」

ではじまって、

「ふねなのね かわなのね」

終わるところ。


他の『バスなのね』『おうちなのね』は最初と最後が

「バスなのね」 
「おうちなのね」

なんだけど、『ふねなのね』だけは
「かわなのね」
がついてくる。


この台詞で一気に世界が広がり、壮大な気分になる。


これを読むときは、最後の「かわなのね」をどうやって読もうか気を配りなが読む。

とても、いい絵本です。


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以上、たくさん音読して楽しい絵本がありますが、ぼくが特に気に入っているものを3つ紹介しました。

聞いてくれる人がいると、絵本を読むのがとてもうれしいものです。

「次はどうやって読もう」と毎回アレンジしながら、心地いい読み方を探っていくのがとても楽しいです。


絵本を選ぶとき、絵だけじゃなくて、読み心地をポイントに選んでみるのもいいと思います。



皆さんのおすすめの「声に出して読みたい絵本」を教えてください。

2012年10月12日金曜日

【書評】WORK SHIFT/わくわくワークシフト

ちきりんのソーシャル読書会に参加すべく、「WORK SHIFT」読んだ。

非常に刺激的な内容だった。

たまたま図書館になかったので、しょうがなく購入したんだけど、買ってよかった。


2025年になるまで、チョコチョコ読んでみたいと思う。

オススメです。





  • 本の内容

2025年、近未来に社会はどうなるか? を想定し、僕らの働きかたをどのように「Shift」するべきかを考察した本。

すくなくとも、僕にはこの近未来は実現しそうに見えた。


  • 全体の感想

「感動した」とか「共感した」とかではなく、「心を揺さぶられた」という表現がぴったりだ。

つまり、未来に対する「希望」と、どうしようもない「不安」。

両方の感情をかき立てらた。




世界は変わる。


今まで通りではダメだと、心の叫びが聞こえる。

だけど、一歩が踏み出せない。

一歩を踏み出さないとなにも変わらないのはわかる。

だけど、一歩踏み出すことで、どん底に堕ちないと誰が言える?

マズローの底辺の欲求まで満たされない状態に陥る可能性がないと、誰が言える?

ジレンマです。


本書の最後のほうに、
"そのジレンマの中にこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている"

とあります。



この言葉を信じ、しばらくは、この不安と友達になり、じっくり相談しようと思う。






  • 面白いと思った細かい部分


この本で、面白いと思った「ポッセ」と「ビッグクラウド」の概念を備忘録的に書いておく。

ポッセとは、自分と同じようなスキルをもっていて、自分が困っていたら馳せ参じてくれる人のことらしい。

なにか仕事をするとき、声をかければすぐ助けてくれるし、ある程度知識を共有しているので、少ないコミュニケーション(つまり低コスト)で協業できる。

スピード重視で手っ取り早く仕事をするときにお互い助かる。

反面、価値観が似ているため、イノベーションは起こりにくい。



一方、ビッグクラウドは、さまざまな価値観の人と繋がる概念。

いろんなスキルでいろんな価値観の人と協業できる。

こちらは、価値観の垣根があるので、コミュニケーションのコストはかかるが、イノベーションを起こしやすい。

これから仕事をする上で、「ポッセ」と「ビッグクラウド」を使うことが大事だそうだ。


僕は、これを読んで、今までの企業の重要な機能はこの「ポッセ」と「ビッグクラウド」の機能じゃないかと思った。

企業の中にポッセとビッグクラウドがあったから、これまで大企業はすごいポテンシャルがあった。

でも、これからはテクノロジーが企業のこの部分の機能を果たしてくれる。

未来の世界ではこの面でもフリーランスで働きやすくなる。

だとしたら、これからの企業の役割はいったいどこに重きをおくべきなんだろうか?

興味深いです。




  • まとめ
この本を読んで、個人が「シフト」していくことの重要性が良くわかった。

だけど、結構ハードルが高い。

何でハードルが高いかと言うと、「現状」から「シフト」できてる人が、圧倒的に少ないからだと思う。


この本が示すような「シフト」後の生き方が主流になれば、きっとハードルが低くなる。




なので、日本中の皆さんが先に「シフト」して、ハードルを低くしてもらいたいと思う、他力本願な希望を抱いております。



おわり

2012年10月11日木曜日

胎動

胎動、

胎動。

ウズウズ、

ウズウズ。

からだの奥で蠢くお前は、

良きものなのか?

悪しものなのか?

生まれてくるのか?

そのまま消えるか?

出てこい、

出てこい。

良きものにしろ、

悪しものにしろ。

お前の顔を

見てみたい。

2012年10月9日火曜日

落穂

三連休に、裏の田んぼが稲刈りだった。

夕方、ハトポッポが落穂をアサリに来てた。

息子がハトポッポを追いかけるけど、すぐ飛んで逃げられる。

ハトを追いかける息子

息子「はとさん、何してるの?」


父「稲刈りで落ちたお米を食べに来てるんだよ」


息子「へぇ」


息子は、田んぼの中から落穂を見つけ出し、持っていた虫取り網にいれた。


そして、藁の山に網を立てて、罠を仕掛けた。





網にエサを入れて罠を仕掛ける息子




息子「ハトさん、来るかなぁ?」


もちろん、ハトさんは来なかったけど、三歳児に罠を仕掛ける知能があるとは驚いた。


「ハトさんくるかなぁ?」

おわり


2012年10月4日木曜日

裸の王様の国

先日こんなブログを読んだ


デマこいてんじゃねえ!/裸の王様の教訓は?


ふんふん、と読んでたけど、


「あれ? 裸の王様ってどんな話やったっけ?」 ってなった。


みんな、王様が裸だってこと知ってたんだったっけ?

それともみんなだまされてたんだっけ?

最後に子供が「王様が裸だ!」 って言った後どうなるんだっけ?


細部があいまいで、ちゃんと思い出せない。



てなわけで、裸の王様の原文訳を読んでみた。


ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 はだかの王さま The Emperor's New Suit


読んだ後、今まで細部を微妙に取り違えていたことに気がついた。

そして、非常に示唆に富んでいることに驚いた。

是非読んでみてください。

以下に僕の考える教訓を書いてみます。



  • よき動機がよき結果に結び付くとは限らない。

まず驚いたのは、王様がバカには見えない服を作らせたのは、とてもよい考えからでした。

「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」


これは、本当に意外でした。

王様、メッチャかっこいいやん。と思ってしまうほどです。

しかし、結果はご存じの通り散々です。

よき動機でも、思慮深さと誠実さがなければうまくいきません。

これは大事な教訓です。



  • 保身が人にウソをつかせる

王様が作らせた服は単純に「バカには見えない」服ではありませんでした。

正確には

自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない

です。

「バカ」だけだと抽象的すぎますが、「自分にふさわしくない仕事をしている人」となると、かなり具体的です。

要するに見えなければ即「クビ」です。

そりゃウソもつきたくなります。


また、僕は、みんなが王様に「裸だ」と言えなかったのは、王様に逆らうとクビになるからだと思っていました。

でも、原作では、見えないことそのものがクビに繋がるみたいです。

これは、王様の機嫌を損ねクビを切られるより深刻です。

王様一人を交換して済む話じゃないからです。




しかも、興味深いのは、一番まともそうな人間が一番最初に「見える」と嘘をつくところです。

 そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。この大臣はとても頭がよいので、布をきっと見ることができるだろうと思ったからです。向かわせるのにこれほどぴったりの人はいません。

一番まともだからこそ、保身に走り、一番まともだからこそ「あの人が見えるなら本当なんだ」と、他の人にも次々に伝播してしまった。

まじめな人ほど、だまされる典型です。



  • 実体がないものでもみんなが認めれば価値になる(バブルの話)

実体がなくても、みんなが素晴らしいと認識すれば価値が出る。

まさにバブルそのものだ。


みんなが王様が着ている(ことになっている)服に価値を見いだせばそれは価値がある。

ただし、それは、みんなが認めている間だけだ。

誰かが「裸だ!」と叫べば、たちまち価値がなくなり崩壊してしまう。

この物語では、王様が恥ずかしいだけですんだ。

でも現実はもっと厳しいことの方が多い。



  • 黒船はいつも海の向こうからやって来る

Wikipediaによると、「王様は裸だ!」と叫んだのは子供ではなく、黒人だったらしい。

元の話では王様が裸であると指摘するのは子供ではなく黒人であった。

たぶん、人種差別的な観点から子供になったんだろう。


でも、子どもだったら純粋に「見たままを言った」で納得できるけど、黒人となると「純粋」ではしっくりこない。


子供と黒人の共通点ってなんだろう?
アンデルセンが黒人に「裸だ」と言わせた意図はなんだろうと考えた。



それは物語の中で、どちらもアウトサイダーとしての役割だったんだと思う。


裸の王様の国の常識を持たない存在。


黒人は奴隷として、白人社会の常識を共有できない。
子供はまだ社会の常識を理解できていない。


これは、単純に「純粋な心を持ちましょう」と言う啓蒙よりは、狭い社会で通用していた常識が、外部の力で意図も簡単に崩れ去る危うさを示唆していると思う。


Amazonが出版を変えたように。
Appleが音楽業界や携帯業界を変えたように。

良くも悪くも、常識が変わるのはいつも外側からだ。



  • いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。

僕が一番恐ろしいと思ったのは、この最後の部分。

王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。

引くに引けないと言うやつです。


非常に怖いです。

一度始まったものは、途中で愚考に気づいても、やめることはできない。
行くところまで言ってしまう。

僕はこの結末に、ゾッとしてしまいました。



  • まとめ 裸の王様の国の希望
改めて原文訳を読んでみると、非常にたくさんの教訓があります。
特に、最初はよき動機で始められ、最悪の結果になろうとも、動き出せば止まらない。行き着くところまでいってしまう怖さを教えられる。

まるで、将来のエネルギー問題を夢の原子力技術で挑み、様々な重大な問題が起こってしまっても突っ走っていく日本そのものだ。

動き出したものを止めることは非常に難しい。


だけど、この物語には希望もある。

だれかが「王様は裸だ!」と叫んだあと、みんな目が覚めた。

「王さまははだかだぞ!」 ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。
「子どもは馬鹿だから見えないんだな」と黙殺される可能性だってあった。

だけど、人々はそこまで馬鹿じゃない。

きっかけさえあれば目覚める。


王様はパレードをやめることができなかった。
でも、パレードを続けるだけで済んだのかもしれない。

もし、ここで子どもの叫び声を黙殺されたら、もっとひどいことになっていたかもしれない。

馬鹿には見えない服が、一般市民にも流行りだし、詐欺師に国中の財産をもぎ取られ、冬になって全員凍死するストーリーだってあったはずだ。

だけど、僕らは何かのきっかけでちゃんと目覚める力を持っている。

それが、外からの声かもしれない、子どもの声かもしれない。



手遅れになる前に、真剣に耳を傾けよう。



僕らは裸の王様の国に住んでいるんだから。

2012年10月3日水曜日

【子供から学ぶ】絵を描くことは物語ること

ある晩、仕事から帰ると、嫁から報告があった。
「今日ね、○○が保育園で上手に絵を描いたよ」
長男が猫じゃらしの絵を描いたらしい。
それまで、息子の絵は、豆粒みたいな点を細々書いたり、丸を書いたり、抽象的なモノしか描けなかった。
(丸を描いて「車!」と言い張ることはあった。)
それが、はじめて猫じゃらしと言う「具体的なモノ」を描いた。
そこには、曲がりなりにも、土があり、茎があり、穂があった(らしい)。
ちいさな子供がいる親御さんならきっとわかってくれると思うけど、これはなかなか大きなステップアップだ。
外の世界を認識し、自分のなかで解釈し、アウトプットできたと言うことだ。
脳ミソの中でどんな変化が起きたのか、非常に興味深い。
嫁は、単純に息子の成長にビックリして、先生にどうやって書かせたか聞いたらしい。
その答えは次のようなものだった。
まず、猫じゃらしがどうやってできるのかを子供たちに語った。
最初に種があり、種が土の上に落ちる。
土の中には、石や葉っぱやアリンコやいろんな生き物がいる。
種から芽が出て、土の栄養をいっぱい吸って、茎が延びて、葉っぱが伸びて・・・
(実際は僕の文章なんかよりとても楽しい話だったんだろう)
つまり、猫じゃらしにまつわる、周辺を含めた物語を語った。
そして、先生が簡単にお手本を描いて、「みんなも描いてみる?」と言って、紙とクレヨンを渡した。
すると、なんと言うことでしょう。
息子が絵を描いた。
きっと、息子の中で猫じゃらしの世界が広がったんだろう。
土と根っこの関係、茎が支える穂。
それぞれの関係が物語を通して繋がったんだろう。
そして、茎が成長していく時間軸と茎を描くことが繋がったんだろう。
(茎を下から上へ描く様子が思い浮かぶ)
今まで、子供とお絵描きするとき、例えば猫じゃらしなら、葉っぱは何色で、穂はどんな形で、と言ったように、形の説明に終始してた。
絵をかくと言うことは、形を再現することだと思っていた。
でも、そうじゃない。
絵をかくと言うことはストーリーを描くことなんだ。
世界の物語を読み解き、世界向けて語りかけることなんだ。
(なんか、壮大なまとめになってしまった。)
保育園の先生スゲェ。
※もちろんこれが絵を描くことの全てじゃない。ひとつの解釈として。
※ぼくも、実際の息子の絵は見てません。どうせ下手くそです。あくまでも抽象表現から具体表現へのステップアップについての考察です。一般論で親バカではありません。
※いつか、実際の絵が手に入ったらアップしたいです。
※もちろん、うちの子の体験談で、全ての子供に有効とは限らない。

2012年10月1日月曜日

【書評】ニートの歩き方/優しさだけで生きていける社会へ

世界一のニート、phaさんの本。


 

ニートと言う響きは、あんまり良いイージが感じられないかもしれないけど、この本からはこれからの働き方や人生観を模索していくためのヒントがちりばめれている。


ちょっと死語かも知れないけど、著者のような人を「ニューエイジ」って言葉が浮かんでしまった。
これから、こういう人がどんどん増えていって、世の中が変わっていくだろう。

ぼくは、この人の感覚が非常によくわかる。

社会とうまく折り合いがつかない感じ。

子供の頃からずっと抱いていた社会の仕組みに対する疑問。
リア充と言うか、マッチョがはびこる世界で片身が狭い思いをする、あるいはリア充のフリをして生きている。

息苦しさを感じているのは僕だけじゃなくて、結構いるんじゃないだろいか、と言う気がしてきた。

そして、phaさんのように、周りに会わせることを止め、ニートのまま生きていくことが、まだハードルがあるにしろ不可能ではなくなってきた。

(適応力があるなら著者は働いた方が楽だと言ってる。その通りだと思う)




これからテクノロジーが発達していけば、ますますこういった人が増えてくると思う。




この本を読んで、著者は基本的に本当に優しい人なんだと思った。



著者だけじゃなくて、多くの若者は人の役にたちたいと思っている(と思う)。

でも、これまで働くってことは、(多くは人の役に立つことだけど)必ずしも役にたつことばかりでないし、会社に勤めることは(金銭的な)利益が優先される。


また、日本独特の人間関係が優先されたりする。



そこに息苦しさを感じてしまう。


楽観的だけど、近い将来、僕はテクノロジーがこの息苦しさを変えてくれると信じている。


著者もニートが生きやすい世界は、みんなが生きやすい社会だと言っているけど、まさにその通りだと思う。


優しさだけで生きていける社会。


自分の子供が大人になる頃には、そんな社会になっていればよいと思います。



おわり

【書評】KAGEROU / 僕はこの作品を酷く憎悪する

KAGEROU読みました。

僕の読解力、生死観が乏しいためかもしれませんが、この本読み終わった後、嫌悪感を通り越して、憎悪を抱くほど、強い不快感を持ちました。


以下、この本についての感想を書こうと思います。
かなりネガティブな感想です。(まだ読んでいない人とか、好きな人は見ないほうがいいと思います)

(多少にネタばれもあると思います。)

あと、初見の感想なので、後々、僕自身の価値観が変わり、「やっぱり面白いやん」となるかもしれません。(そうなることを期待して、今の気持ちを書き留める)
















【感想】


  • 薄っぺらい命

この本の作者は、「命の大切さ」をテーマにしているという。

物語は主人公が自殺しようとするところから始まる。


だけど、この主人公からは、今まさに死のうとしようとしている人の切実さが微塵も感じられない。

人はこんなに軽いノリで死ねるものなのか?


僕には、この本の作者から「お前らはこの主人公と同じように命の大切さをわかっていない」といわれているように感じてならない。


「お前らみたいな命を粗末にするやつらに、命の大切さを教えてやるよ」


っていう、上から目線の傲慢な態度がにじみ出ている。


非常に腹立たしい。


僕はこの本の作者から、僕の命、僕の家族の命を辱められている感覚がする。




くやしい。



僕は、僕らの命を軽く見ているこの作品を憎悪する。





僕らはこの主人公のような薄っぺらい人間じゃない。




複雑で重くて、不器用で根暗で、夢もあり希望もあり、愛もある。



それでも、時として絶望や孤独や無気力に襲われてしまうときもある。



複雑な僕らの命を、こんな薄っぺらい主人公に投影されるのは非常に不愉快だ。







以上


僕に文章力がないので、たかが小説をなぜそこまで憎むのかうまく表現できないのが残念です。
(こんな僕に作品をdisる権利があるのかも疑問)


また、小説なんだから、テーマを引き立てるためにあえてこの主人公のようなキャラクターにしたという意見もあると思う。


そうかもしれない。

でも、この主人公じゃないといけないという理由も特に今のところ納得いかない。


いつか、この作品と和解する日が来るのだろうか?


おわり

2012年9月26日水曜日

【子どもから学ぶ】「あ! いいこと考えた!」

最近の長男の口癖は「あ! いいこと考えた!」です。

保育園に通いだして1ヶ月。保育園で覚えてきたようです。


最近では、ことあるごとに「あ! いいこと考えた!」と言っております。


でも、明らかに「いいこと考えた」といってしまってから

「えーっと、えーっと」

といいながら考えています。

「思いついてから言えよw」

と心の中で突っ込みつつも、この子どもながらの思考法に感心してしまいます。


「いいこと考えた!」思考法で僕なりに考えたことを、備忘録的にまとめておこうと思います。



  • 短期間でアイデアをひねり出す

「いいこと考えた!」から説明しだすまでの短期間に、本当に「いいこと」を思いつかないといけません。
人間だらだら考えても、あんまりいいアイデアは浮かんでこないもんです。
それよりも、「いい子と考えた!」と言ってしまうことで、自分にプレッシャーをかけ、とにかくアイデアを出してしまう。
そして、何度も何度も「いいこと考えた!」ということで、たくさんのアイデアを出す。

まさにブレーンストーミング的発想で、短い時間でたくさんのアイデアを出す。


理にかなっていると思います。






  • アイデアが生まれそうな心理状態
息子が「いいこと考えた!」といった瞬間は、実はまだ、考え切れていない。それは見ていてわかる。

でも、その表情、声の調子から、とても楽しそうで、フロー状態っていうんですかね? 今まさにいいアイデアが浮かんできそうな心理状態のようだ。

子どもは直感的にそういう心理状態をわかっているんだと思う。


その証拠に、とりあえずの結果としてのアイデアは披露してくれる。(大人から見たらしょうもないことだけど)

ちょっと逆説的だけど、、何かひらめきそうな状態、それが「楽しい」ってことなのかもしれない。
そんな気さえします。







大人になるとどうしても、先に頭の中で考えて整理してからでないと、口にするのが怖くなってしまいます。

上司に突っ込まれたりとか、友達に馬鹿なやつだと思われたりとか。


でも、そういう時ってあんまり面白いアイデアって浮かんでこない。

これから少し、子どもを見習って、さきに「いいこと考えたw」って言ってみようと思う。


皆さんも煮詰まったらまず「いいこと考えた!」って言ってみてください。


意外と何かひらめくかもしれません。

2012年9月20日木曜日

思いやり抑止力

こんな記事読んだ。(ニュース記事なので見れなくなるかもだけど)

中国の「反日暴動」がアメリカでほとんど報道されない理由とは? | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

SNSやらなんやらで、人とできるだけ繋がっていた方が、万が一人生立ち居かなくなったときの何とかなる率が上がる(って誰かいってた気がするし、実際そんな気がする)。
リアルな交流(実際に会うとかお金のやりとりとか)がなくても、近況の把握(つぶやき程度の情報)を眺めるだけで、「最近楽しそうだな」とか「あれ?最近見かけないな、大丈夫かな?」とか心配してくれたり。

それだけで大分生存率がUPする(気がする)。

国もそれと同じで、いろんな国と繋がってた方が、安全保障上も何とかなる率が上がるんじゃないか?とおもう。

つまり、何が言いたいかって言うと、僕らはシリアやらエジプトやら中東、アフリカとか遠い国のことにもっと興味を持ったほうがよいのでは? ということ。

その国々の宗教やら考えやら、政治的な立ち居地やら、難しいことがあって、単純に支援とか援助とか、軍を派遣するとか資金援助とか、直接的な行動は難しいと思う。

でも、単純に遠い国のことを興味を持ったり情報を把握したりする、感想をつぶやく、そんなことの積み重ねって大事なんじゃないかと。


冒頭のリンク記事を見る限り、欧米、中東、アフリカなんかは、日中間のごたごたなんかあんまり興味ないし、知らないんじゃないかな。

それは僕らが彼らのことに興味がなかったことの裏返しなんじゃないかな。


遠くの国の困ったていることに思いをはせ関心を持って、僕らの困ったことにも関心を持ってもらう。

国際世論を味方につける。


情報という名の抑止力。

思いやりという名の抑止力。


そんな平和な世界が僕はいいです。


そして、テクノロジーがそれを可能にしてくれると信じています。

2012年9月8日土曜日

【レビュー】崖の上のポニョ

ジブリ版人魚姫の感想。

というか備忘録。。。

ちょっと文章がへたくそ過ぎて読みづらい。。。




ネタばれ注意



  • 子供のための絵本的映画

とてもシンプルなようで非常に難解な映画。見終わったあと、この物語をどう捉えたら良いのか、途方に暮れてしまった。

頭の中で、何度も物語をリプレイしてみて、次のことに思い当たった。

この世界には、津波や水没した町に対する悲壮感がほとんどない。

半魚人や魔法を割りとすんなり受け入れられている。

なんか、こういった世界観が、「夢の中」みたいだ。

特に津波のシーンは、波に飲み込まれそうだと言う恐怖感はあるが、僕は「飲み込まれないことを知っている」。

人面魚がしゃべることや、魚が人になることを受け入れられる。

町が水没しても、みんな無事で、まあ何とかなることを知っている。


これって、夢の中と同じだな、と思う。


そして、夢の記憶と子どもの頃の記憶ってとても似ている。

子どもの頃の記憶って、それが夢だったのか、現実だったのか、ごっちゃになるときがある。


ポニョの夢っぽい物語は、「子供の世界の捉え方」を再現してるんじゃないだろうか? と思い至りました。


と、えらく、前置きが長くなったけど、つまり、これは、「子供の目線で作られた」「子供のための」映画なんだと言うことです。

僕は、大人目線で映画を見ていたので、最初見終わったとき、非常に不可解でしたが、しばらくして、この事に思い当たり、こんがらがった頭のなかが一気に晴れ渡り、物語をスッと飲み込めました。

きっと、子供は最初から受け入れられるんでしょう。


  • 理想の人間像を描くメッセージ
主人公のソウスケは、かなり完璧な人間だった。最初、この完璧さに対して「こんなやつ居らへんで」と思ってしまい、物語に入っていけませんでした。

最近は、リアルな人間像を描くような物語に慣れすぎていたため、最初はソウスケの完璧さにとまどいました。


しかし、これは、絵本みたいなもんだ。

子どもたちのために理想を提示するための物語なんだ。

別に、人間の弱さや社会の矛盾を表すだけが物語でなくて、理想を描いて「こんな風になるべきだ!」って言うのも当然あるわけで。


「ポニョ」は駿さんからの、子供に向けて「こういう人間になってください」というメッセージなんだとおもいました。

こんな何てことないことに気づくまで、相当な時間をかけてしまった僕は、なんて頭が固くなってしまったんだろう。(こういう)大人になるというのは悲しいことです。

で、もう少し、ソウスケについて詳しく考察してみます。


  • 理想の人間像 ソウスケの気遣うやさしさ

一番感心したのは、ポニョとの関係において、一貫してポニョの「生死、健康」を気遣っているところです。
魚の姿なのか、人間の姿なのか、蛙っぽいのかとか、容姿には全く触れません。
とても、さりげないですが要所要所にそういうシーンがちりばめられています。
非常にかっこいいです。


  • 理想の人間像 ソウスケの自立心
ソウスケは人に頼りません。なんでも自分で解決しようとします。

印象的なシーンは、ポニョに魔法でろうそくを大きくしてもらおうとしたシーン。

ポニョが魔法を使えることを理解し、受け入れているけど、ポニョが寝ているときには、あわてたり、ポニョを起こしたりせず、自分で何とかする。

このシーンで、ソウスケの魔法との付き合い方のスタンスを非常によくあらわしていて、すごくいい。

あと、自立心を表現するためにあえて母親を名前で呼ばせているんだろうか?

「ママ」とか「おかあさん」とか呼ぶよりは「リサ」と呼ばせることでソウスケの自立心が際立っている。(日本の舞台では少し不自然な感じはしたが。最初本当の親子でない気がしたけど、母乳で育ったぽいし。。。やっぱり実の母親と考えるほうが自然かな?)


  • 理想の人間像 ポニョの情熱
ポニョノ情熱を表すあの圧倒的な津波の表現は圧巻。


  • 理想の人間像 人間中身が大事
ポニョが人間だろうが、半漁人であろうが、人面魚であろうが、魔法が使えようが使えまいが、ポニョはポニョ。ポニョという本質的な部分がすきなんだというソウスケはすばらしい。


ただ、物語の性格上、「姿かたちを気にしない結果、人間の姿になってハッピーエンド」っていうこの矛盾はどうにかならないのかなぁ。

魚のままでいいなら魚のままで終わってもいいやんと。

そういう意味ではシュレック的な方が論理的には妥当かな。

でも、それだと物語的には人間になって終わるのがすっきりするのはわかります。

でもなぁ、なんだかなぁ。。。

少しもやもやが残ります。



  • 映像表現について
津波の表現やらなんやらは、まあ、今更僕がいうまでもなくすばらしいとおもいます。

なので、僕がすごいと思うところは、トンネルの中でポニョがずるずると倒れるシーン。

あの消力はたまらんです。

あの脱力感を出せるのは駿さんだけでしょう。(別スタッフかもしれませんが)


  • まとめ
最後のもやもやはあるものの、じわじわと、そのよさがわかってきて、最終的には非常にいい映画だと思いました。
子どもがもう少し大きくなったら、見せたいと思います。
そして、ソウスケのようになってほしいと思いました。

ポニョかわいい。



2012年8月21日火曜日

関西ひよこライダーズカップに出場してきました!

関西ひよこライダーズカップに出場してきました。

http://striders.exblog.jp/

ストライダーっていう、2歳から乗れるペダルなし自転車の大会です。

ずっと大会に出たかったんだけど、開催されるイベントの少なさと倍率の低さで、半ばあきらめていたところ、「関西ひよこライダーズカップ」にキャンセルが出たとのことで参加できることになりました。


有志のパパさん・ママさんが運営されている大会ですが、かなり本格的で楽しい一日を過ごせました。
運営の方たちに感謝です。

会場はJ-GREEN堺の屋根付フットサルコートで、広々としてしかも日陰なので、真夏にもかかわらず非常に快適でした。

会場に来てまずびびったのが、他のご家族のやる気の違いです。

ステッカー張ってるのなんて当たり前、ストライダーのハンドルや車輪をカスタムしてめっちゃ力が入ってました。

そして、うちの子(3歳)より明らかに小さい子でもビュンビュンストライダーで走り回っていました。

反面、うちの子は「コースを回っていち早くゴールする」レースという概念を理解していないようにも見えました。(不安。。。)


いよいよスタート。

「れでぃー、せっと、ごー!」

の合図で各馬一斉にスタート。

うちの子も何とかスタートできました。


が、、、


フットサルコートの線上を走ることに固執してしまい、あえなくタイムアップ。


完走すらできませんでした。。。


残念。。。



でもまあ、ずっと出たがっていた大会にも出られたし、他の子がどんな風にストライダーに乗っているか見ることができた。

そして、何より楽しかった。

とても有意義な一日でした。


関西ひよこライダーズカップの皆様、ありがとうございました。



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余談



ストライダーは公道を走っちゃいけません。(ブレーキないしね)
で、乗るときはヘルメット必須だそうです。

自転車用ヘルメットは2歳とか想定外なので(そら自転車乗れる子用やからね)
ウチはローラースケートとか用のヘルメットにしました。
これだと、2歳からいけるし、
スネあて、ヒジあてがあるしお手ごろ価格でオススメです。