2017年4月2日日曜日

【感想文】『騎士団長殺し』/イデアとメタファーについての考察

イデアとメタファーについての考察。

ネタバレあり。





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『騎士団長殺し』におけるイデアとメタファーについて、以下のように理解した。


イデア

認識から生じるもの。まさに認識することで「顕れるイデア」である。誰かが何かを「信じる」ことで形作られる。
流れとしては、「認識する」⇒「存在する」。
「騎士団長」が存在すると信じれは、騎士団長はいる。
あるところに女の子がいて、その女の子が「自分の子どもである」と強く信じることができれば、その子は「自分の子ども」である。たとえ、論理的に説明できなくても、問題ない。
まず、信じることが大事である。

メタファー

表象から生じる意味あい。物事と物事をつなぐもの。関連性。誰かが何かを見ると、そこから「これはこういう意味だ」という感じる。ゆえに見る人、見るときによって変化する。まさに「遷ろうメタファー」である。
流れとしては、「事象がある」⇒「認識する」。
あるところに女の子がいて、その女の子の中に自分に似ている部分を発見する。すると「この子は自分の子どもであるかもしれない」と思う。またある時には「この子には、自分と全然似ていない」と感じ絶望する。表象にメタファーは揺れ動く。
免色は強力な自己制御でその揺れ動きをコントロールし自分を保つ。しかし、何かを信じることはできない。二重メタファーはその心の隙間を狙う。
どんなにスマートで、能力があり、基本的に善良な人間でも、この心の隙間があれば、二重メタファーの餌食になる。二重メタファーに取りつかれると、自分の意思とは無関係に、悪を成す。
憎しみや嫉妬や怒りを生み出す。
それらは雨田具彦の恋人を死に追いやり、雨田継彦を自殺に追い込んだ。そして「邪悪なる父」となり、秋川まりえを閉じ込める。
おそらく「私」は、メタファーの世界に降りていき、そこへ二重メタファーをおびき出した。その間に秋川まりえは逃げ出すことができたのではないだろうか?

二重メタファーに対抗するには、手に取ることができる具体的な記憶である。記憶で心の隙間を埋めることである。そして、何かを信じることである。

2017年3月12日日曜日

『騎士団長殺し』/物語は現実世界を侵食する

『騎士団長殺し』を読んだ。

いろいろ思うこと、まだまだ分からないこと、たくさんあるけど、まずは初見で感じたことをメモ。


以下、ネタバレあり。


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この小説の中では、主人公である「私」は画家である。

画家である「私」は、絵の場面を再現することによって、そこに描かれたメタファーを現実世界におびき出す。

そうすることで、「私」はメタファーの世界へ入っていくことができる。


この原理をそのまま受け入れるのであれば、当然、小説にも同じ原理が成り立つはずである。


つまり、小説を読んでいる我々のすぐそばには、メタファーが潜んでいて、そこには、メタファーの世界へ通じる穴が存在するはずである。





「騎士団長殺し」という絵に描かれた"メタファー"と『騎士団長殺し』という小説に描かれた"メタファー"。


それらが合わせ鏡のように反響しあって、それぞれメタファーが無限に増幅し、混然一体となり、ある一転を超えた時に、ポンと現実世界に飛び出してくる。


小説世界が、現実世界に侵食してきた。

そういう感覚がある。


自分の背後にメタファーの存在をありありと感じることができる。