2012年11月30日金曜日

雨男は幸せかもしれない。

僕は雨男です。

小学校の林間学校が大雨でした。
予定していたカヌーに乗れませんでした。

夏休みのキャンプも台風でした。
キャンプが中止になるのが悲しくて、雨の中無理やり親に車を出してもらいましたが、雨がひどすぎて途中で引き返しました。

大学の学園祭も台風でした。
6月なのに台風なんて、自分の雨男ぶりを申し訳なく思いました。

新婚旅行は前日が大雨で、せっかくの、人生初のスキューバーダイビングは、流れ出た泥のせいで視界は5mほどでした。


それでも、と僕は思います。

雨降りで、散々だった思い出は、いつまでも覚えています。

雨降りで残念だったという記憶は、僕が本当に楽しみにしていたことを、大切にしていたことを思い出させてくれます。


そして、雨降りで残念だったこと以上に、記憶にはのこっていないけど、晴れて楽しかった出来事があったはずだということです。


雨男は幸せなのだと思います。

2012年11月27日火曜日

【我が家の妖怪図鑑】No.001 妖怪ちょっきんな

パンツを履かない男の子がいると現れる。

手がカニのようなハサミになっていて、男の子の大事大事を”ちょっきん”と切り取ってしまう。

身長は30cmから50cmくらいで、手を伸ばすと、子供の腰に届くくらいの大きさ。

複数で行動することが多く、油断すると囲まれる。

動きは速く、子供の背後に素早く回り込むので、子供はその姿を見ることが難しい。

パンツを履いていない子供がいる場所を嗅ぎつける。

僅かな隙間でも部屋に入ってくるので、侵入を防ぐことはできない。

パンツを履いていれば、手出しはできないので、大事大事を切られたくなければ、”ちょっきん”される前にパンツを履くしかない。

ちなみに『ちょっきんな』という名前は、柳川の巨星、北原白秋先生の『あわて床屋』から来ていることは言うまでもない。

2012年11月20日火曜日

人はだれでも、好きなときに好きなところに行く権利があると思う

なんか、こんな記事が目に飛び込んできて、とでも悲しい。

再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家) (PHP Biz Online 衆知(Voice)) - Yahoo!ニュース


人間は誰でも、好きなときに好きなところに行く権利があると思う。

それは、子供であろうが、子持ちの親であろうが、爺さん婆さん、厨二病であろうが、誰でもです。

通勤ラッシュであろうが、飛行機でしか行けないところであろうが、関係ない。

好きなときに、好きなところに行けばいい。

快適だとか、迷惑とか、そういう次元の問題じゃない。

これは尊厳の問題だ。

子供の尊厳を守ることは、自分の尊厳を守ることだ。

子供の尊厳を守れない社会は、いつか自分の尊厳を奪うだろう。

だから、僕らは寛容にならないといけない。

たかだか、子供の泣き声くらい笑ってやり過ごしてやらなければならないと思う。

2012年11月17日土曜日

最近お金をみないなぁ。から考えたこと

Fake leather and goldFake leather and gold / Comrade Foot
最近、お金を見ないなぁ。

見る機会といえば、歯医者に行く時くらいかな。

昼飯も社食で食券支給されるし、買い物はだいたい嫁がするし、自分のはだいたいアマゾンだし。


そういえば、前も同じようなことを考えたことがあって、「お金ってこのままなくなるんじゃね?」って思ったので、飲み会の席で友達に


「お金ってシステムはなくなると思うよ」


と呟いたら、


「そんなことないよw」


と一蹴された。


まあ、極端すぎる意見だし、世の中、紙幣や硬貨を使う機会が減っただけで、実際には金は世の中を回っている。

それも、めまぐるしく。

でも、お金が電子化して、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、どんどんどんどん、そのスピードは早くなっていっている。


悟空とフリーザのバトルのように、ほとんど見えない。





あるいは、「ロッズ」みたいなもんかなと思ったりする。


目の前を飛び交っているんだけど見えない、だけどカメラで撮影した時だけ見える変な生物(生物なのか?)。


お金はロッズみたいに、この空間を飛び交っているんだけど、ふとしたきっかけで、一時的に、紙幣やお金となって、財布に入る。


お金は謎の生命体なのかもしれない。





はたまた、お金のスピードはどんどん、どんどん速くなって、そのうち、本当になくなってしまっんじゃないか?

そして、世界を一回りしてパラレルワールドへ、、、


話が変な方向へ行ってしまった。


お金システムがなくなる話だった。




お金を考える上で、クレジットについて考えてみる。

クレジット(信頼)とはよく言ったもので、お金って信頼の残量みたいなもんだ。


ゼロになったら、「お前の信頼がなくなりました」ってことで、なにも買えなくなる。


働くと(価値を生み出すと)信頼が回復する。


また、信頼だから、「こいつは、将来なんかしてくれそうだぞ」と思わせることで、信頼を前借りすることだってできる。



これまでは、便宜上、信頼をお金で表現してきた。




僕らはクレジットカードで、信用をお金に変えて使うことができる。






だけど、この信頼って、お金じゃないと表現できないの?っていったら、もちろんそんなことはない。



お金がなくても、友達の家に行けば採れた柿をもらえることもあるし、知り合いが困っていたら助けてあげる。


藁とお家を交換する人だっているかもしれない。


つまり、物々交換、あるいは「これやるからあれやって」的な直接の価値交換はもともと可能だ。


そこにお金という便利なものを手に入れたので、みんなこれ使おうよってことに過ぎない。


でも、ぼくは、テクノロジーの進化で、お金がなくても直接、信頼のやり取りができるようになるんじゃないかな、とおもっているし、そうなればいいなと思っている。


そして、ソーシャルネットワークはお金を破壊する力をもってると思っている。


「僕がこれをやるから、君はこれをやって」が回ればお金ってほんとに必要なくなるんじゃないかな?


テクノロジーの進化で、人類の叡智とも言えるお金を捨てて原始時代のようなシステムに戻る!


と考えると、わくわくします。



もうすぐ選挙が始まりそうですが、今の日本の政治って「いかに金を使うか」が、焦点だと思うんです。

どの政党が、自分のところに金を落とすか? が重要です。
そして、高齢社会の日本では、ご高齢な政家が、ロートル企業に金を落とすことでしょう。



だけど、お金システムが崩壊すれば、こんな構造も大きく変わると思うのです。


「どうぞ、勝手にお金を取り合ってください。僕たちは別のシステムで価値を交換していますから」といえると思うのです。




とまあ、お金を最近みないなぁとから、妄想が拡散して、収集がつかなくなってきたので、そろそろ終わります。



まぁ、すぐにお金がなくなる可能性は、宇宙人に遭遇するより低いと思うけど、思考実験として、未来を考える手がかりとして面白いと思いました。



おしまい。


※なんか、クレジットに関して、根本的に間違ったこと書いてしまったので消した。

2012年11月16日金曜日

人生は食後のお茶のようなものだ

人生はお茶だ。

食後のお茶だ。

今日は茶柱が立つかもしれない、と期待しながらお茶を入れる。

ああ、今日も茶柱は立たなかったなと思いながら、しみじみお茶を飲む。

ほっと、一息つく。

ああ、茶柱は立たなくても、お茶は美味しいなぁ、と思う。

そして、僕は明日もお茶を入れる。

茶柱が立つことを期待して。

2012年11月10日土曜日

非寛容の王国

むかしむかし、あるところに非寛容な王国がありました。

非寛容な王国には、非寛容な王様がおりました。

非寛容な王様は、大臣を非寛容に扱いました。

大臣は、家来を非寛容に扱いました。

家来は、市民を非寛容に扱いました。

市民は奴隷を非寛容に扱いました。

奴隷は、作物を非寛容に扱いました。

そうして、非寛容な王国では、非寛容なパンを食べて暮らしていました。

おしまい。

2012年11月8日木曜日

世界は暗く冷たいブラックボックス

世界は巨大なブラックボックスでできている。

僕が世界に向けてインプットしたものが、世界がどう処理をしてアウトプットしてくるのか、だれにもわからない。

わかるのは、「原因」と「結果」だけ。

だから、僕は注意深く誰かの入出力を観察する。

誰かのインプットをコピーして、世界に入力する。

そして誰かと同じアウトプットを得られると、僕は心から安心する。

「ああ、よかった。間違ってなかった」と。

だけど、僕は恐ろしい。

コピーしているつもりが、実は少し間違っているんじゃないか?

手順が違っているんじゃないか?

条件が違うんじゃないか?

バージョンは?

世界はブラックボックスだ。

些細な違いが命取りになる。

世界は僕がしくじるのを、じっと待っている。

僕がミスをすると、世界は僕をその真っ黒なブラックボックスに引きずり込んでしまうだろう。

暗く冷たい世界に閉じ込められ、永遠に出てこれなくだろう。

僕は、ますます用心深くなる。

世界へのインプットが減っていく。

世界からのアウトプットが減っていく。

そして僕はますます孤独になっていく。

2012年11月3日土曜日

【感想文】1Q84 / リトルピープルなんかぶっ飛ばせ!

秋の夜長に村上春樹の『1Q84』の感想文を書きます。

(ブクログに書いた内容をまとめたような感じです)

読書の秋ですが、読んだのは初夏です。。。







ネタバレ含みます。ご注意を。




○。

この物語は「愛と意志の力で運命に立ち向かうラブストーリー」だと思います。


これだけを文字に起こしてみると非常に陳腐ですが、まあ、つまりそういうことなんだと思います。



運命について

この物語にはたくさんの不思議な現象が起こります。

なかでも「リトルピープル」が重要な役割を担っています。


ぼくは、「リトルピープル」はそこらへんに充満している「悪い予感」や「嫌な空気感」みたいなものなんだと思います。


例えば、僕が何か新しいことを始めようとしたとします。

すると友人が「失敗するからやめとけよ」と忠告してくれます。

僕はだんだん不安になってきます。

些細なことが気になり始め、あらゆるものが「やめとけ」と言っているように見えてきます。



この「なんとなく嫌な予感」や「不穏な空気」みたいなものが「リトルピープル」なんだと思います。




このリトルピープルに対抗するのが「愛」と「意志」の力なんだと思います。


意志の力

この小説の中で出てきた僕の好きな言葉が「チェーホフの裏をかけ」というセリフです。



『1Q84』には、不吉な象徴として「拳銃」がでてきます。

チェーホフの原理でいうと、そのままでは弾が発射されてしまいます。

そこで、登場人物のタマルは「弾が発射される前に回収される状況」を提示します。

つまり、チェーホフの原理でいうなら、「物語の中で、拳銃が回収される状況が提示されたなら、拳銃は発射される前に回収されなければならない」わけです。

ちょっとややこしいですが、「チェーホフの裏をかけ」というのはそういう意味だと思います。



「拳銃が発射される運命」が勝つのか、「発射されずに回収される運命」が勝つのかそれはわかりません。

しかし、何もしないで「拳銃が発射される運命」に従うよりましです。

うまくいくかもしれない、いかないかもしれない。それでも僕らはただただ運命に流されるのではなく、自ら運命を切り開いていくことだってできる。

運命を切り開こうとする強い意志が、拳銃というリトルピープル的存在に対抗する力の一つだと思います。



愛の力

リトルピープルに打ち勝つためのもう一つの力はやはり「愛」です。

「1Q84」へ迷い込んだ青豆と天吾はあるときお互いが同じ「二つの月」を見ていることを知ります。

「1Q84」なんて得体のしれない世界において、同じものを見ているという実感は、とても心強いものなんだろう。



1Q84だろうが、1984だろうが、はたまた1球84だろうが、確実な世界なんてどこにもない。

僕らは不確かな世界で生きていくしかない。


だからこそ、そんな不確かな世界の中から同じものを見つけ出せる相手と巡り合い、共に生きることがとても重要なんだと思います。


どんなにリトルピープルが邪魔をしようが、再び離れ離れになろうが、また同じ月を見つけ出せる。

そういった関係が、つまり「愛」なんだろうと思いました。





まとめ

僕らの生きている世界にはリトルピープル的存在に満ちている。

だけど、自分の手で運命を切り開けるんだという力強いメッセージを感じました。




※村上春樹の物語はとても示唆に富んでいます。僕の解釈とはまた別の解釈も当然あると思います。
僕の解釈に対するご意見や、「こんな見方もあるよ」っていうのがあればぜひ教えてください。