2012年10月30日火曜日

未来の保育サービスについて考えてみました 

IMG_0738IMG_0738 / nishioka



最近読んだ『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 』に感化され、 未来の保育サービスについて考察してみました。

※保育についてイメージで語っているので、ぼくの無知のためその道の方に不快な思いをさせたらごめんなさい。

※今回は保育園的要素も幼稚園的要素も保育でまとめています。





「ワークシフト」にかかれてたように、これからは個人の時代です。

保育園という枠組みを取っ払われ、「どこにあずけるか?」ではなく、「だれにあずけるか?」を考える時代が来ます。

それにともなって、保育サービスが大きく変わると思います。

【ソーシャルメディアによるマッチング】


ソーシャルメディアの普及で、これまでのように企業に依存する必要がなくなり、個人で活躍できる時代が来ます。

保育園も例外ではなく、保育士は園に依存することなく、個人で活躍できるようになります。



これまでは、保育園単位、幼稚園単位で保育のブランドか形成されていました。

しかし、これからは、保育士個人がブランディングをするようになります。

保育士はFacebookなどで、自分のプロフィール、経験、保育プラン、(顧客の了解を得た上で)日々の活動内容などを公開します。

親は、そのなかから、都合や保育方針をキーに保育士を選ぶことができます。

親は、選択の幅が広がる反面、自分に合った保育士を探し当てるリテラシーが必要となります。

保育士は、自分の裁量が増える反面、過酷な競争にさらされます。


【保育士同士のコワーキング】

個人がブランドになると、経験豊富ベテランは人気が出るかもしれません。

反対に、新米先生が信頼を得るのは難しくなります。


また、個人だと看れる子供の数も知限れます。園のようなスケールメリットをだせません。


これらの問題は、保育士同士の協力で解決できると思います。


個人が活躍できるということは、孤独に頑張るという意味ではなくて、園に依存することなく、人と人が結び付き、協力できるということです。

新米さんは、まずベテランさんのお手伝いから実績を積むこともできます。

また、若者同士でアイデアを出しあい、ベテランに負けない新しいサービスを立ち上げることもできます。




【異業種とのコラボレーション】

人は一人では才能に限界があります。

でも、いろんな人と協力できればたくさんのことができます。

ミュージシャン、デザイナー、農家、たくさんの人と繋がり、協力を得ることができる人は、保育士として魅力的です。

単純に保育の経験だけでなく、繋がりというブランドが顧客を呼び込みます。



【会計プラットフォーム】


ネットサービスの進歩で、今ではペイパルやクレジットサービスが比較的手軽に利用できます。

園から給料としてもらうというスタイルから直接利用者と契約するスタイルが簡単にできます。

また、税金の手続きを代行してくれるサービスもあるようです。


【インフラ整備】

保育園や幼稚園の設備を揃えるのは大変です。

そこで誰でも利用できる保育スペースができてきます。


乳児向けには最近の総合商業施設のベビールームを広く快適にしたイメージです。

幼児向けには、ホールや遊具、ピアノがあるような児童館的スペースです。

保育士が、設備利用料を払い、予約して保育スペースを利用します。

必要なときに必要なものだけ有料で施設を利用することができます。

【預ける親のワークスタイル】

もちろん保育士だけでなく、いろんな業種が個人化します。ノマド的な働きかたが増えるでしょう。

そこで、保育スペースには親が働けるコワーキングカフェと一体化したものも出てくると思います。

これまでは、「子供を保育園に預けてその間に働く」というように、子供と親が分断されたスタイルが一般的だったと思います。

これからは、子供のそばで、子供を見守りながら働くことができればいいと思います。

乳児なら時々授乳をしながら働いたり、お昼ご飯は子供と一緒にご飯を食べたり。

そういった、親と子供のコミュニケーションをサポートするような保育の在り方もいいと思います。



親、子供、保育士みんなでわいわいやりながら生活していくコミュニティになればいいと思います。


【保育園の役割】

これまでは、保育園がブランドや経営の部分を担ってきましたが、個人の台頭で保育園の役割は変わってくると思います。

保育園には本当に充実した保育インフラがあります。

これを、保育士が利用できるように提供することができます。

また、保育園は保育士同士のコラボレーションを支援したり、プロデュースしたりするかもしれません。

いずれにしても、保育園はこれまでのように、「園児を囲う」のではなく、「保育士と取引する」というイメージなるのではないでしょうか?

【課題1 個人への信頼を築けるか】

大事な子供を預けるのは余程の信頼がないと難しいと思います。

個人にそれだけの信頼をソーシャルサービスで結ぶことができるのか?

難しいところですが、facebookのような実名でオープンなところでは可能性はあると信じたいです。


【課題2 補助の問題】


保育園は、認可だと補助が出ます。また、利用者の収入によって料金が減額されます。

個人の保育サービスでは、(僕が知らないだけかもしれませんが)補助は(今のところ)でません。

個人の保育サービスにも補助が出るような仕組みが必要だと思います。


【課題3 質の悪いサービス】

だれでも保育ができると、質の悪いサービスを出す人が出てくるかもしれません。

そういった人から子供や親をどう守るかが課題です。

ひとたび問題が起これば、「個人で保育サービスなんてけしからん! ましてやソーシャルネットワークでマッチングなんて出会い系みたいなもんだ!」なんて言われたら、変に規制がかかってしまいます。


そうなると、こういう仕組みで得られるはずのメリットが受けられなくなります。


質の悪いサービス、悪質なサービスを出さない工夫が必要です。


【課題4 モンスターペアレンツ対策」

いわれのない苦情で保育士が苦しむかもしれません。

保育園という組織がない分弱い個人をどう守るか?が課題です。



【どこにビジネスがあるか】

以上の考察から、ビジネスのポイントは次の3つかなとおもいます。

  • 保育ソーシャルサービス
  • 保育スペース貸し出しサービス
  • 保育サービス
保育ソーシャルサービスは、「保育士と預け親のマッチングサービス」、「保育士同士のコワーキングサービス」を含みます。

【まとめ】

そもそも何でこんなことを考えたかというと、「昔は父親が働いて母親が子供を育ててた、今は不景気だし、女性の社会進出でみんな子度をも預けて共働きで行こう!」 みたいな空気感があるけど、折角、テクノロジーも進化してるんだし、もっといい方法ないの? 本当に子供を預けるのがベストなの? っていう疑問がありました。

働く時間と子供といる時間を分断して考えると、一日24時間のうち何時間働いて何時間子供といるかをトレードオフで考えないといけない。


だから、発想を変えて、子供と一緒にいながら働ける環境を作るには? って考えてて、コワーキングカフェ的な保育園があればいいなと思いました。


それなら、保育士も親もみんな一回バラバラの個人になって、もう一回保育を構築してみようと考えたら、こういう未来像になりました。

子供と親にっとってよりよい未来が来ればいいと思います。



以上


ご意見、ご感想などあればよろしくお願いします。

2012年10月24日水曜日

声に出して読みたい絵本

小学校の宿題の「本読み」がなくなってから、本を音読することがなくなった。

だけど子供ができて、絵本を読み出すと、これがまた楽しい。

絵本は、もちろん絵も魅力的なんだけど、音読したときの響きも魅力のひとつだ。

そこで、ぜひ声に出して読んでほしい、おすすめ絵本を紹介したいとおもいます。



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1、『ぐりとぐら』




言わずと知れた、ベストセラー『ぐりとぐら』。

ゆるキャラのぐりとぐらと、意外性のあるストーリーがとても魅力的だけど、ぐりとぐらの台詞の掛け合いが絶妙だ。

全体を通して非常にリズミカルで、読んでいてとても楽しい。

間の取り方もすばらしい。

次のページへの期待を持たせるタメが、子供のワクワクを引き立てる。

毎回、読み方を工夫しても、「もっと楽しく読めるんじゃないかな?」と向上心が沸いてくる絵本です。

最高です。


2、『いいおかお』




ふうゃんの「いいおかお」をいろんな動物が真似します。

この作者の絵はふんわりしててとても好きなんだけど、動物たちの台詞もとてもいいです。

単なる繰り返しではなく、展開に意外性がありたのしい。


一つ一つはとても短いセンテンスなんだけど、

読み方に緩急をつけると、とてもいい味が出ます。


なによりも「いいおかお」と言う響きがすばらしい。




おすすめです。



3、『ふねなのね』




ぼくの大好きな100%オレンジの絵本。文は中川ひろたか。シリーズもので、他にも『バスなのね』『おうちなのね』がある。

子供のごっこ遊びが、いつのまにか本物になっている不思議で楽しいシリーズ。

なかでもぼくは、この『ふねなのね』が大好きだ。

壮大な冒険、危機一髪、友情。

ワニくんとのコミカルなやり取りは読んでいて楽しい。

そして、なんといっても

「ふねなのね かわなのね」

ではじまって、

「ふねなのね かわなのね」

終わるところ。


他の『バスなのね』『おうちなのね』は最初と最後が

「バスなのね」 
「おうちなのね」

なんだけど、『ふねなのね』だけは
「かわなのね」
がついてくる。


この台詞で一気に世界が広がり、壮大な気分になる。


これを読むときは、最後の「かわなのね」をどうやって読もうか気を配りなが読む。

とても、いい絵本です。


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以上、たくさん音読して楽しい絵本がありますが、ぼくが特に気に入っているものを3つ紹介しました。

聞いてくれる人がいると、絵本を読むのがとてもうれしいものです。

「次はどうやって読もう」と毎回アレンジしながら、心地いい読み方を探っていくのがとても楽しいです。


絵本を選ぶとき、絵だけじゃなくて、読み心地をポイントに選んでみるのもいいと思います。



皆さんのおすすめの「声に出して読みたい絵本」を教えてください。

2012年10月12日金曜日

【書評】WORK SHIFT/わくわくワークシフト

ちきりんのソーシャル読書会に参加すべく、「WORK SHIFT」読んだ。

非常に刺激的な内容だった。

たまたま図書館になかったので、しょうがなく購入したんだけど、買ってよかった。


2025年になるまで、チョコチョコ読んでみたいと思う。

オススメです。





  • 本の内容

2025年、近未来に社会はどうなるか? を想定し、僕らの働きかたをどのように「Shift」するべきかを考察した本。

すくなくとも、僕にはこの近未来は実現しそうに見えた。


  • 全体の感想

「感動した」とか「共感した」とかではなく、「心を揺さぶられた」という表現がぴったりだ。

つまり、未来に対する「希望」と、どうしようもない「不安」。

両方の感情をかき立てらた。




世界は変わる。


今まで通りではダメだと、心の叫びが聞こえる。

だけど、一歩が踏み出せない。

一歩を踏み出さないとなにも変わらないのはわかる。

だけど、一歩踏み出すことで、どん底に堕ちないと誰が言える?

マズローの底辺の欲求まで満たされない状態に陥る可能性がないと、誰が言える?

ジレンマです。


本書の最後のほうに、
"そのジレンマの中にこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている"

とあります。



この言葉を信じ、しばらくは、この不安と友達になり、じっくり相談しようと思う。






  • 面白いと思った細かい部分


この本で、面白いと思った「ポッセ」と「ビッグクラウド」の概念を備忘録的に書いておく。

ポッセとは、自分と同じようなスキルをもっていて、自分が困っていたら馳せ参じてくれる人のことらしい。

なにか仕事をするとき、声をかければすぐ助けてくれるし、ある程度知識を共有しているので、少ないコミュニケーション(つまり低コスト)で協業できる。

スピード重視で手っ取り早く仕事をするときにお互い助かる。

反面、価値観が似ているため、イノベーションは起こりにくい。



一方、ビッグクラウドは、さまざまな価値観の人と繋がる概念。

いろんなスキルでいろんな価値観の人と協業できる。

こちらは、価値観の垣根があるので、コミュニケーションのコストはかかるが、イノベーションを起こしやすい。

これから仕事をする上で、「ポッセ」と「ビッグクラウド」を使うことが大事だそうだ。


僕は、これを読んで、今までの企業の重要な機能はこの「ポッセ」と「ビッグクラウド」の機能じゃないかと思った。

企業の中にポッセとビッグクラウドがあったから、これまで大企業はすごいポテンシャルがあった。

でも、これからはテクノロジーが企業のこの部分の機能を果たしてくれる。

未来の世界ではこの面でもフリーランスで働きやすくなる。

だとしたら、これからの企業の役割はいったいどこに重きをおくべきなんだろうか?

興味深いです。




  • まとめ
この本を読んで、個人が「シフト」していくことの重要性が良くわかった。

だけど、結構ハードルが高い。

何でハードルが高いかと言うと、「現状」から「シフト」できてる人が、圧倒的に少ないからだと思う。


この本が示すような「シフト」後の生き方が主流になれば、きっとハードルが低くなる。




なので、日本中の皆さんが先に「シフト」して、ハードルを低くしてもらいたいと思う、他力本願な希望を抱いております。



おわり

2012年10月11日木曜日

胎動

胎動、

胎動。

ウズウズ、

ウズウズ。

からだの奥で蠢くお前は、

良きものなのか?

悪しものなのか?

生まれてくるのか?

そのまま消えるか?

出てこい、

出てこい。

良きものにしろ、

悪しものにしろ。

お前の顔を

見てみたい。

2012年10月9日火曜日

落穂

三連休に、裏の田んぼが稲刈りだった。

夕方、ハトポッポが落穂をアサリに来てた。

息子がハトポッポを追いかけるけど、すぐ飛んで逃げられる。

ハトを追いかける息子

息子「はとさん、何してるの?」


父「稲刈りで落ちたお米を食べに来てるんだよ」


息子「へぇ」


息子は、田んぼの中から落穂を見つけ出し、持っていた虫取り網にいれた。


そして、藁の山に網を立てて、罠を仕掛けた。





網にエサを入れて罠を仕掛ける息子




息子「ハトさん、来るかなぁ?」


もちろん、ハトさんは来なかったけど、三歳児に罠を仕掛ける知能があるとは驚いた。


「ハトさんくるかなぁ?」

おわり


2012年10月4日木曜日

裸の王様の国

先日こんなブログを読んだ


デマこいてんじゃねえ!/裸の王様の教訓は?


ふんふん、と読んでたけど、


「あれ? 裸の王様ってどんな話やったっけ?」 ってなった。


みんな、王様が裸だってこと知ってたんだったっけ?

それともみんなだまされてたんだっけ?

最後に子供が「王様が裸だ!」 って言った後どうなるんだっけ?


細部があいまいで、ちゃんと思い出せない。



てなわけで、裸の王様の原文訳を読んでみた。


ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 はだかの王さま The Emperor's New Suit


読んだ後、今まで細部を微妙に取り違えていたことに気がついた。

そして、非常に示唆に富んでいることに驚いた。

是非読んでみてください。

以下に僕の考える教訓を書いてみます。



  • よき動機がよき結果に結び付くとは限らない。

まず驚いたのは、王様がバカには見えない服を作らせたのは、とてもよい考えからでした。

「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」


これは、本当に意外でした。

王様、メッチャかっこいいやん。と思ってしまうほどです。

しかし、結果はご存じの通り散々です。

よき動機でも、思慮深さと誠実さがなければうまくいきません。

これは大事な教訓です。



  • 保身が人にウソをつかせる

王様が作らせた服は単純に「バカには見えない」服ではありませんでした。

正確には

自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない

です。

「バカ」だけだと抽象的すぎますが、「自分にふさわしくない仕事をしている人」となると、かなり具体的です。

要するに見えなければ即「クビ」です。

そりゃウソもつきたくなります。


また、僕は、みんなが王様に「裸だ」と言えなかったのは、王様に逆らうとクビになるからだと思っていました。

でも、原作では、見えないことそのものがクビに繋がるみたいです。

これは、王様の機嫌を損ねクビを切られるより深刻です。

王様一人を交換して済む話じゃないからです。




しかも、興味深いのは、一番まともそうな人間が一番最初に「見える」と嘘をつくところです。

 そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。この大臣はとても頭がよいので、布をきっと見ることができるだろうと思ったからです。向かわせるのにこれほどぴったりの人はいません。

一番まともだからこそ、保身に走り、一番まともだからこそ「あの人が見えるなら本当なんだ」と、他の人にも次々に伝播してしまった。

まじめな人ほど、だまされる典型です。



  • 実体がないものでもみんなが認めれば価値になる(バブルの話)

実体がなくても、みんなが素晴らしいと認識すれば価値が出る。

まさにバブルそのものだ。


みんなが王様が着ている(ことになっている)服に価値を見いだせばそれは価値がある。

ただし、それは、みんなが認めている間だけだ。

誰かが「裸だ!」と叫べば、たちまち価値がなくなり崩壊してしまう。

この物語では、王様が恥ずかしいだけですんだ。

でも現実はもっと厳しいことの方が多い。



  • 黒船はいつも海の向こうからやって来る

Wikipediaによると、「王様は裸だ!」と叫んだのは子供ではなく、黒人だったらしい。

元の話では王様が裸であると指摘するのは子供ではなく黒人であった。

たぶん、人種差別的な観点から子供になったんだろう。


でも、子どもだったら純粋に「見たままを言った」で納得できるけど、黒人となると「純粋」ではしっくりこない。


子供と黒人の共通点ってなんだろう?
アンデルセンが黒人に「裸だ」と言わせた意図はなんだろうと考えた。



それは物語の中で、どちらもアウトサイダーとしての役割だったんだと思う。


裸の王様の国の常識を持たない存在。


黒人は奴隷として、白人社会の常識を共有できない。
子供はまだ社会の常識を理解できていない。


これは、単純に「純粋な心を持ちましょう」と言う啓蒙よりは、狭い社会で通用していた常識が、外部の力で意図も簡単に崩れ去る危うさを示唆していると思う。


Amazonが出版を変えたように。
Appleが音楽業界や携帯業界を変えたように。

良くも悪くも、常識が変わるのはいつも外側からだ。



  • いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。

僕が一番恐ろしいと思ったのは、この最後の部分。

王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。

引くに引けないと言うやつです。


非常に怖いです。

一度始まったものは、途中で愚考に気づいても、やめることはできない。
行くところまで言ってしまう。

僕はこの結末に、ゾッとしてしまいました。



  • まとめ 裸の王様の国の希望
改めて原文訳を読んでみると、非常にたくさんの教訓があります。
特に、最初はよき動機で始められ、最悪の結果になろうとも、動き出せば止まらない。行き着くところまでいってしまう怖さを教えられる。

まるで、将来のエネルギー問題を夢の原子力技術で挑み、様々な重大な問題が起こってしまっても突っ走っていく日本そのものだ。

動き出したものを止めることは非常に難しい。


だけど、この物語には希望もある。

だれかが「王様は裸だ!」と叫んだあと、みんな目が覚めた。

「王さまははだかだぞ!」 ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。
「子どもは馬鹿だから見えないんだな」と黙殺される可能性だってあった。

だけど、人々はそこまで馬鹿じゃない。

きっかけさえあれば目覚める。


王様はパレードをやめることができなかった。
でも、パレードを続けるだけで済んだのかもしれない。

もし、ここで子どもの叫び声を黙殺されたら、もっとひどいことになっていたかもしれない。

馬鹿には見えない服が、一般市民にも流行りだし、詐欺師に国中の財産をもぎ取られ、冬になって全員凍死するストーリーだってあったはずだ。

だけど、僕らは何かのきっかけでちゃんと目覚める力を持っている。

それが、外からの声かもしれない、子どもの声かもしれない。



手遅れになる前に、真剣に耳を傾けよう。



僕らは裸の王様の国に住んでいるんだから。

2012年10月3日水曜日

【子供から学ぶ】絵を描くことは物語ること

ある晩、仕事から帰ると、嫁から報告があった。
「今日ね、○○が保育園で上手に絵を描いたよ」
長男が猫じゃらしの絵を描いたらしい。
それまで、息子の絵は、豆粒みたいな点を細々書いたり、丸を書いたり、抽象的なモノしか描けなかった。
(丸を描いて「車!」と言い張ることはあった。)
それが、はじめて猫じゃらしと言う「具体的なモノ」を描いた。
そこには、曲がりなりにも、土があり、茎があり、穂があった(らしい)。
ちいさな子供がいる親御さんならきっとわかってくれると思うけど、これはなかなか大きなステップアップだ。
外の世界を認識し、自分のなかで解釈し、アウトプットできたと言うことだ。
脳ミソの中でどんな変化が起きたのか、非常に興味深い。
嫁は、単純に息子の成長にビックリして、先生にどうやって書かせたか聞いたらしい。
その答えは次のようなものだった。
まず、猫じゃらしがどうやってできるのかを子供たちに語った。
最初に種があり、種が土の上に落ちる。
土の中には、石や葉っぱやアリンコやいろんな生き物がいる。
種から芽が出て、土の栄養をいっぱい吸って、茎が延びて、葉っぱが伸びて・・・
(実際は僕の文章なんかよりとても楽しい話だったんだろう)
つまり、猫じゃらしにまつわる、周辺を含めた物語を語った。
そして、先生が簡単にお手本を描いて、「みんなも描いてみる?」と言って、紙とクレヨンを渡した。
すると、なんと言うことでしょう。
息子が絵を描いた。
きっと、息子の中で猫じゃらしの世界が広がったんだろう。
土と根っこの関係、茎が支える穂。
それぞれの関係が物語を通して繋がったんだろう。
そして、茎が成長していく時間軸と茎を描くことが繋がったんだろう。
(茎を下から上へ描く様子が思い浮かぶ)
今まで、子供とお絵描きするとき、例えば猫じゃらしなら、葉っぱは何色で、穂はどんな形で、と言ったように、形の説明に終始してた。
絵をかくと言うことは、形を再現することだと思っていた。
でも、そうじゃない。
絵をかくと言うことはストーリーを描くことなんだ。
世界の物語を読み解き、世界向けて語りかけることなんだ。
(なんか、壮大なまとめになってしまった。)
保育園の先生スゲェ。
※もちろんこれが絵を描くことの全てじゃない。ひとつの解釈として。
※ぼくも、実際の息子の絵は見てません。どうせ下手くそです。あくまでも抽象表現から具体表現へのステップアップについての考察です。一般論で親バカではありません。
※いつか、実際の絵が手に入ったらアップしたいです。
※もちろん、うちの子の体験談で、全ての子供に有効とは限らない。

2012年10月1日月曜日

【書評】ニートの歩き方/優しさだけで生きていける社会へ

世界一のニート、phaさんの本。


 

ニートと言う響きは、あんまり良いイージが感じられないかもしれないけど、この本からはこれからの働き方や人生観を模索していくためのヒントがちりばめれている。


ちょっと死語かも知れないけど、著者のような人を「ニューエイジ」って言葉が浮かんでしまった。
これから、こういう人がどんどん増えていって、世の中が変わっていくだろう。

ぼくは、この人の感覚が非常によくわかる。

社会とうまく折り合いがつかない感じ。

子供の頃からずっと抱いていた社会の仕組みに対する疑問。
リア充と言うか、マッチョがはびこる世界で片身が狭い思いをする、あるいはリア充のフリをして生きている。

息苦しさを感じているのは僕だけじゃなくて、結構いるんじゃないだろいか、と言う気がしてきた。

そして、phaさんのように、周りに会わせることを止め、ニートのまま生きていくことが、まだハードルがあるにしろ不可能ではなくなってきた。

(適応力があるなら著者は働いた方が楽だと言ってる。その通りだと思う)




これからテクノロジーが発達していけば、ますますこういった人が増えてくると思う。




この本を読んで、著者は基本的に本当に優しい人なんだと思った。



著者だけじゃなくて、多くの若者は人の役にたちたいと思っている(と思う)。

でも、これまで働くってことは、(多くは人の役に立つことだけど)必ずしも役にたつことばかりでないし、会社に勤めることは(金銭的な)利益が優先される。


また、日本独特の人間関係が優先されたりする。



そこに息苦しさを感じてしまう。


楽観的だけど、近い将来、僕はテクノロジーがこの息苦しさを変えてくれると信じている。


著者もニートが生きやすい世界は、みんなが生きやすい社会だと言っているけど、まさにその通りだと思う。


優しさだけで生きていける社会。


自分の子供が大人になる頃には、そんな社会になっていればよいと思います。



おわり

【書評】KAGEROU / 僕はこの作品を酷く憎悪する

KAGEROU読みました。

僕の読解力、生死観が乏しいためかもしれませんが、この本読み終わった後、嫌悪感を通り越して、憎悪を抱くほど、強い不快感を持ちました。


以下、この本についての感想を書こうと思います。
かなりネガティブな感想です。(まだ読んでいない人とか、好きな人は見ないほうがいいと思います)

(多少にネタばれもあると思います。)

あと、初見の感想なので、後々、僕自身の価値観が変わり、「やっぱり面白いやん」となるかもしれません。(そうなることを期待して、今の気持ちを書き留める)
















【感想】


  • 薄っぺらい命

この本の作者は、「命の大切さ」をテーマにしているという。

物語は主人公が自殺しようとするところから始まる。


だけど、この主人公からは、今まさに死のうとしようとしている人の切実さが微塵も感じられない。

人はこんなに軽いノリで死ねるものなのか?


僕には、この本の作者から「お前らはこの主人公と同じように命の大切さをわかっていない」といわれているように感じてならない。


「お前らみたいな命を粗末にするやつらに、命の大切さを教えてやるよ」


っていう、上から目線の傲慢な態度がにじみ出ている。


非常に腹立たしい。


僕はこの本の作者から、僕の命、僕の家族の命を辱められている感覚がする。




くやしい。



僕は、僕らの命を軽く見ているこの作品を憎悪する。





僕らはこの主人公のような薄っぺらい人間じゃない。




複雑で重くて、不器用で根暗で、夢もあり希望もあり、愛もある。



それでも、時として絶望や孤独や無気力に襲われてしまうときもある。



複雑な僕らの命を、こんな薄っぺらい主人公に投影されるのは非常に不愉快だ。







以上


僕に文章力がないので、たかが小説をなぜそこまで憎むのかうまく表現できないのが残念です。
(こんな僕に作品をdisる権利があるのかも疑問)


また、小説なんだから、テーマを引き立てるためにあえてこの主人公のようなキャラクターにしたという意見もあると思う。


そうかもしれない。

でも、この主人公じゃないといけないという理由も特に今のところ納得いかない。


いつか、この作品と和解する日が来るのだろうか?


おわり