梅の花が香り、暖かい陽気が続いた。
「鬼退治に出るにはいい季節だな」と僕は思った。
二年前、この国に鬼が来た。
それ以来、僕は何度も「鬼退治に行きたいな」と思ってきた。
だけど、結局一度も鬼退治に行かないままずるずると今日まで過ごしてきた。
二年。
ちょうどいい頃合いかもしれない。
僕は、インターネットを開き、「鬼退治ツアー」を検索した。
さすがに二年も経てば、ツアーの数は目減りしていた。
当初はもっとたくさんのツアーが組まれ、たくさんの人が鬼退治に参加したものだった。
僕は、条件を絞込み、僕の住む町から参加できそうなツアーを探した。
ヒットしたのは、たった2件だった。
仕方がない。僕の町は、鬼が島からかなり遠いのだ。
ヒットした内の1件は学生向けのツアーだった。
というわけで僕が参加できるのは、残りの1件だけということになった。
(僕が学生だったのは遠い過去の話だ)
僕は電話を取り、ツアーを主催する団体に連絡を取ってみた。
申し込みが可能か問い合わせるのだ。
電話に出たのは、受付係ではなく「ダイヒョー」と名乗る男性だった。
「あなたのような志を持つ若者が必要なのです」
とダイヒョーは語った。
僕は、集合場所、持ち物、参加費など、事務的な内容を確認すると電話を切った。
とにかくこれで、鬼退治に行くことができる。
少しの興奮と、少しの不安の中、僕は鬼退治の準備に取り掛かった。
鬼退治出発の朝。
僕は、重い荷物を肩からぶら下げ、集合場所に向かった。
集合場所にはすでに、サルやキジやイヌやらが思い思いの荷物を抱えて騒然としていた。
こんなにたくさんの参加者がいるなんて僕はすこし驚いた。
集合時間になると、年老いたイノシシが叫んだ。
「鬼退治ツアーのみなさん、おはようございます!」
どうやら、このイノシシがツアーの主催者のようだ。
イノシシは自分を「ダイヒョー」と名乗った。
イノシシは参加者を集め、ツアーについての説明を始めた。
彼は、鬼が如何に非人道的で、如何に鬼的かについて、あらん限りの敵意を込めて語り出した。
「きゃつらは人間じゃありません! 今もなお、鬼に苦しめられている人々がいるのです。 我々はそれらの人々を鬼から救わなければならないのです。」
云々。
あまりにも演説に力が入りすぎて、出発の時間がとっくに過ぎてしまった。
僕たち参加者がいい加減うんざりしかけたところ、漸く移動用のマイクロバスが到着して演説は終了した。
そのマイクロバスは、いかにも古びていて、いつエンストを起こすかわからないような代物だった。
参加者は30名ぐらいいるのに、こんなに小さなマイクロバスで長距離を移動できるのか?
しかも、銘々大量の鬼退治道具を持っている。
明らかにキャパシティを超えている。
こんなマイクロバスで鬼が島まで行けば、ついたときにはみんなヘトヘトになっているのは目に見えている。
しかしダイヒョーは澄ました顔でこう言った。
「乗車人数は足りているはずです。皆さんのサムライスピリットでこの困難を乗り越えましょう!」
僕たちは初対面ということもあり、それぞれ言いたいことが有りながらも、それを口にすることはできなかった。
僕らは仕方なく、大量の荷物を抱え、マイクロバスに乗り込んだ。
荷物を置くと、ろくに足を延ばせない。
これから鬼が島まで約15時間、この窮屈な状態で移動するのかと思うとうんざりしてしまう。
しかし、背に腹は代えられない。僕は何としても鬼退治に行かなければならない。
これくらいの窮屈は「サムライスピリット」で乗り越えなければならない。
僕は自分にそう言い聞かせた。
すると、僕の横に座っていた若いウサギがいった。
「これ、絶対キャパ超えてますよねぇ。マジっすかぁ? きつくないっすかぁ?」
彼の言うこともよくわかった。
彼が言ったことは参加者全員が思っていることだった。
彼は僕らが思っていることを代弁してくれたのだ。
それをわかってながら、僕は大人としてふるまってしまう。
「これは鬼退治なんだよ。遊びに行くわけじゃないんだ。たったこれだけの料金で鬼が島まで行こうと思えば、ある程度の快適さを犠牲にする必要がある。快適さと料金はトレードオフなんだ」
自分で言っていながら、なんて説得力がないんだと思った。
自分で納得できないことを人に説明するのは至難の業だ。
とうぜん若いウサギは納得しない。
彼は終始ぶつぶつと文句を言い続けていた。
バスが高速に入りしばらくして、サービスエリアで休憩になった。
僕は、バスから降り、体をのばした。
体のあちこちが痛んだが、しばらくぶりの外の空気はとても気持ちがよかった。
そして、僕は「いったいこんなところで何をしているんだろう?」と思った。
僕は見当違いなところで、見当違いなことをしているんじゃないかという気持ちになった。
鬼退治に行くには、ここまでしなければならないのか。
だけど、もう後には引き返せない。ここまで来たからには行くしかない。
「やっぱりやめます」なんて言い出したら、ヒッチハイクで帰らなければならなくなる。
そこまでして帰るのも面倒だ。
結局、僕はこのまま鬼退治に行くしかなさそうだ。やれやれ。
休憩時間が終わり、僕はうんざりした気持ちでマイクロバスに戻った。
マイクロバスに戻ると、休憩前と席が微妙に異なっていた。
僕の隣には、若い女の子のカモノハシが座っていた。
「こんにちは」と僕は言った。
「こんにちは」と彼女は言った。
「バスが窮屈ですけど大丈夫ですか?」と僕は言った。
「大丈夫です」と彼女は言った。
とても感じのいい話し方をする女の子だった。
それから僕たちは少し話をした。
彼女は大学生で、生物学を専攻していた。
彼女は生命の神秘を愛していた。
彼女が生物について語るとき、生き生きとしていた。
それは、マイクロバスで疲れきっていた僕を励ましてくれた。
あるいは彼女は、自分自身が哺乳類と爬虫類との中間的な存在であることにいら立っているようにも見えた。
どっちつかずの中途半端な状況が、彼女には耐えられないのかもしれない。
何かをはっきりさせたいという気持ちが彼女の根源にあるのだ。
彼女が鬼退治に参加したというのも、そのことが何かしら影響しているのかもしれない。
いずれにしても、僕は彼女のそんなひた向きな姿勢に強く惹かれた。
あと5年若かったら恋に落ちていたかもしれないなと思った。
だけど、僕はそんなに簡単に恋に落ちることができるほど若くもなかった。
それに彼女にしてみたところでこんなおじさんになんて興味がないだろう。
ただ、僕は彼女と会話することができて、鬼退治へ行く不安を和らげることができたし、マイクロバスの苦痛を忘れることができた。
とても楽しい時間を過ごすことができた。
そうこうしている間に、消灯時間になった。
もう少し、この若いカモノハシと話していたいなと思ったが仕方がない。
とにかく睡眠だ。
この窮屈なマイクロバスで一晩寝て、次起きたときはもう鬼が島だ。
うまく寝れるといいなと思った。
だけどもちろん簡単に寝ることはできない。
姿勢を頻繁に変えながら、なんとか眠りやすい体勢をとろうとした。
暗闇の中、2時間くらいそんなことをつづけながら漸く意識がまどろみ、浅い眠りに落ちた。
「みなさん、鬼が島につきました」
ダイヒョーの声で目が覚めた。
僕たちは、もぞもぞと起きだした。
いよいよ鬼退治が始まるというのに、参加者のテンションは上がらない。
あんな窮屈なマイクロバスの座席で寝ていたのだ。当然だ。みんな寝不足で気合も入らない。
僕たちは、ぞろぞろとマイクロバスから降りて辺りを見渡した。
しかしそこにあるのは、見渡す限りの草原だった。
僕たちはあっけにとられてその場に立ち尽くした。
「ここが鬼が島ですか?」誰かが言った。
「そうです」ダイヒョーが答えた。
「鬼なんていないじゃないですか」他の誰かが言った。
「鬼は確かにここに来ました。今はいないだけのことです。」ダイヒョーは言った。
「ふざけるな! 俺たちは鬼退治に来たんだ! 鬼を出せ!」また誰かが言った。
「鬼がいないなら金を返せ!」
何人かがダイヒョーに詰め寄って騒然となった。
ダイヒョーと何人かの参加者がもめている間、僕は手持無沙汰になってしまった。
どうしたものかと考えているとき、ダイヒョーが言った。
「しばらく自由行動にします。 ただしあまり遠くまで行かないように。」
僕は草原を歩き出した。
草原に風が吹いた。
とても気持ちがよかった。
しばらく歩くと、湖が見えた。
僕は湖に向かって歩き出した。
近くで見ると、湖は思ったより大きかった。
湖を覗き込んでみると水はとても透き通っていた。
風が水面を揺らしていた。
水面に映った僕の顔は、波紋に合わせて歪んだ。
笑っているようにも見えたし、泣いているようにも見えた。
怒っているようにも見えたし、何も感じていないようにも見えた。
波の加減で僕の顔がぐにゃりと歪んだとき、僕自身の顔が鬼の顔のようにも見えなくはなかった。
水はどこまでも澄んでいた。
だけど、湖の底は見えなかった。
湖はとても深く、その奥には闇が広がっていた。
そしてその闇は僕をじっと見つめていた。
じっと見つめていると吸い込まれそうだった。
闇はとてつもなく深く、暗く、広かった。
そこには僕の理解を超えた世界が広がっていた。
僕に見えるのは、水面に映った僕自身の顔だけだった。
しばらく僕は湖を眺めていた。
そして「そうか、鬼はいなかったんだ」と声に出して言った。
言ってみるとすっきりした。
肩の力が抜け、気持ちが楽になった。
僕は立ち上がり、草原を歩いてマイクロバスのところまで帰った。
マイクロバスに戻ると、そこには誰もいなかった。
イノシシも、ウサギも、カモノハシもいなかった。
残されていたのはおんぼろのマイクロバスだけだった。
中の荷物も、ぼくのものだけを残して消えていた。
運転席にはマイクロバスのキーが刺さったままになっていた。
僕はなんだか無性に自分の家が恋しくなった。
「家に帰ろう。」
僕はマイクロバスのエンジンをかけ、草原の中をおんぼろのマイクロバスで走り出した。
※この物語はフィクションです。
※登場人物は僕の頭の中で勝手に作り上げた架空の人物です。僕が実際にお会いした方々とは全く関係がありません。
※この物語はあくまでも僕の内面を描いたもので、被災地の現状とは何ら関係がありません。