2013年2月20日水曜日

「歴史」とは映画『メメント』みたいなもんだ

「歴史」について、高校の時、歴史の先生に言われたことで今でも覚えていることがある。




歴史は、過去から現在に向かって直線的につながっているのではない。

まず、現在にとって重要な少し前の出来事が取り上げらる。

そして、その「直近の過去」にとって重要なものが取り上げられる。

そしてまた、それにとって重要なものが取り上げられる。。。

というように現在から過去に向かって、連鎖的につながっているものである。



ちょうど、映画『メメント』みたいなもんだなあ、と思う。




時間は、ただ過去から未来に向かって直線的に伸びていくものだと思っていた。



当時の僕にとっては、衝撃的な考え方だった。


このまとめをみて、ふと思い出した。



佐々木俊尚さん@sasakitoshinaoの「そんなに「日本の伝統」を大事にしたいなら、専業主婦で夫婦同姓などという新制度より、姓など持たずに夜這いや乱交で子供つくる方がずっと日本の伝統にかなってると思うけどね。」


おわり。



2013年2月18日月曜日

絵を描くこと

僕はたまに絵を描く。

へたくそだけど。

絵を描くことは楽しい。

なぜ楽しいか、考えてみた。

*****


ぼくは、よく二人の子どもの絵を描く。


人を二人描くのはとても面白い。


二人がどういう関係か。

あるいは、二人にどういう関係になってほしいか。


そういったものが、無意識に現れる。


絵を描きおわって初めて

「ああ、僕は子どもたちをこういう風に見ていたんだ」

と、発見する。



絵を描くことは自分自身を理解するための行為だ。




うまくいくときもあるし、うまくいかない時もある。




うまくいったときは、とてもうれしい。





逆に、絵を描かなければ一生わからない自分自身がいるかもしれない。


そう思うと少し怖い。



だから、ときどき無性に絵をかきたくなる。




うまいかどうかは、また、べつの、はなし。

2013年2月17日日曜日

芸術はシャーマンキングの「オーバーソウル」みたいなもんだ

芸術についての雑記。

芸術って、『シャーマンキング』の「オーバーソウル」みたいなもんだなと思う。

僕らは「言葉」で思考する。

だけど、言葉には限界がある、

僕らは言葉にないものを考えることはできない。


こんな話を聞いたことがある。


イヌイット(エスキモー?)は「白」の表現が何十種類もある。

氷の世界では、様々な「白」が生きていくために重要になるからだ。

(正確なところはよくわからないけど、ひとつのたとえ話として)



もちろん、無理やり翻訳することはできる。

「ほんのり黄色っぽい白」とか「紫がかった白」とか・・・

だけど、本質的な互換には限界がある。


つまり、言葉には限界がある。


僕らは限定された器の中で思考し、コミュニケーションをとっている。


誰かは「言葉の檻」という表現を使っていた。


だけど時々(あるいはしょっちゅう)、この「言葉の檻」の中で思念が暴れだす。

 
暴れ、はみ出す。


このはみ出した部分が具現化すると、絵になり、歌になる。


芸術になる。




つまり、シャーマンキングでいうところの「オーバーソウル(O.S)」です。



「言葉」という器にO.Sしてあふれ出た部分が具現化する。


それが芸術なんだと思います。





たぶん。


きっと。


ひとつの見方として。




2013年2月15日金曜日

「羊をめぐる冒険」再読までの顛末

子ども番組で、羊のキャラクターがでていた。(それは羊というより牛に見えた)

メーコブ(この羊のキャラクターの名前だ)は、子ども番組の中で、子ども番組的なセリフを、子供向け的に語りかけていた。

だけど、その合間合間に、僕に個人的なメッセージを送りつけているように感じた。

それは、僕にとって何かしら特別なものであるように感じた。

きっかけ。

メーコブは僕に何かを思い出させる。

羊的何か。

語りかける羊。

子ども番組を通して社会に干渉する羊。

羊的楽園の構築。


メーコブは僕に『羊をめぐる冒険』を思い出させた。


彼は僕に「村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読め」と言っている。


テレビの画面を通して、僕に個人的なメッセージを投げかけているのだ。


「『羊をめぐる冒険』を読め」


オーケー。


いいだろう。



僕は少し疲れていた。

実際、ひどく混乱していた。



すべては「羊」から始まるのだ。


きっかけ。


メッセージを受け取り、正しく理解する。


『羊』を読もう。


でも、まずは『風の歌を聴け』から読まなければならない。


『羊』を理解するためには出発点である「風の歌を聴かなければならない」


ステップは正しく踏まなければならない。



僕は『風の歌を聴け』を手に取った。




再出発。


原点回帰。


混乱からの回復。



すべてはここから始まる。


僕自身の羊を探し、僕自身の羊男に会うための旅。


ピース。

  

2013年2月6日水曜日

【怖いモノ】ドッペルゲンガーが怖い

少し前、某通信教育会社のCMで次のようなものがありました。



1.バスの中で資格の勉強をしている

2.バスの外を見る

3.もう一人の自分がいる(たぶん資格取得した姿)


僕は、このCMをみて背筋が凍りつきました。


いわゆるドッペルゲンガーです。



僕はドッペルゲンガーが恐ろしい。


もし僕が、このCMの人物なら、たぶん発狂する。




もう一人、自分がいるということは、今ここにいる自分はなんなんだ?


アイデンティティの喪失。


僕ば僕であるという事実が消え去り、僕が何物でもなくなってしまう。


特に僕みたいに「よわよわ」人間には、ドッペルゲンガーはより怖い。

なんとか、ささやかな幸せを手に入れ、でもいつそれが指の間からこぼれ落ちるかわからない。

そんな不安の中を綱渡りで生きている人間にとって、アイデンティティの喪失は絶望だ。



きっと、ドッペルゲンガーは僕が築き上げたものをすべて奪い去るだろう。


そして僕は透明人間になって、ドッペルゲンガーが僕よりももっとうまくやっていくところを、眺めながら、絶望のうちに消えてなくなる。



そういうイメージ。




こんなに怖ろしいCMもあまりない(僕にとってという意味だけど)。

2013年2月4日月曜日

恵方巻きメソッド

恵方巻きルール

ルール1
恵方を向いて食べなければならない

ルール2
かぶりつかなければならない

ルール3
食べ終わるまでしゃべってはならない



家族で恵方巻きを、黙って、同じ方向を向きながら食べていて、何かと似ていると感じた。

そう、一蘭だ。

恵方巻きメソッドは一蘭メソッドなのだ!


数分の間、黙って、ただひたすら太巻きにかぶりつく。




だけど、僕は孤独じゃない。


家族、いや、日本中のみんなが同じ方向を向いているのだから!

2013年2月2日土曜日

【創作】クロスロード


ある夜、僕は交差点に立っていた。


交差点には悪魔がいた。


悪魔は言った。



「君の魂をくれないか。そうすれば世界一のギターテクニックを教えてあげるよ」



僕は迷った。


僕はただのサラリーマンだ。

妻も子供もいる。

守るべき家庭がある。



僕にはかつて夢があった。

子供の頃からミュージシャンになりたかった。

学生の頃はバンドも組んだ。

プロを目指せると思った。


でも、結局あきらめた。

そして家族を手に入れた。



だけど、時々考える。


本当は夢をあきらめるべきではなかったんじゃないだろうか。

あのまま夢を追いかけていれば、今頃はもっと充実した人生を送っていたんじゃないだろうか。



僕はしばらく考えた。




考えている間、悪魔はじっと答えを待っていた。



ようやく僕は答えた。


「僕は、魂を悪魔に売り渡すわけにはいかない。僕には守るべき家族がいるんだ」


すると、悪魔は答えた。


「もういないよ」


僕は僕の手を見た。しわしわになっていいた。


髪の毛は抜け落ち、半分以上の歯もなかった。


僕は年を取っていた。


そしてすべてを失っていることを思い出した。

2013年2月1日金曜日

破らせるためだけに存在するルール

某アイドルグループの一人が、「恋愛禁止」ルールを破ったため自ら丸刈りにしたそうです。


僕はこの話を聞いて、ゾッとしました。





アイドルの「恋愛禁止」は「破らせるためだけに存在するルール」だと思います。


「ルールを守ることによって何かを達成する」わけではなく、「破らせることによって何かを達成する」ルールです。


僕はこの「破らせるためだけに存在するルール」に、底知れない悪意のようなものを感じます。


蟻地獄が、蟻が落ちてくるのを静かに待っているような悪意です。