改めて見てみると、花いちもんめって面白い。
やっているうちに、だんだん呪術的な趣きが出てくる。
なんというか、右チームと左チームでメンバー自体はどんどん入れ替わっているはずなのに、それぞれのチーム自体が独立した意志(人格)を持ちだしているように見える。
右チームは左チームに勝ちたいと思っているし、左チームは右チームに勝ちたいと思っている。
それは、人が入れ替わっても持続する。
よくできた遊びだなぁと思う。
個人レベルでは、その場その場の勝ち負けに一喜一憂しているんだけど、それとは別に集団としての勝ち負けがある。
しかも、個人の意志は、どの集団に属するかで180度変わってしまう。集団の意志の中に飲み込まれてしまう。
なんというか、人間というものの不思議さを教えられる。
たぶん、この集合的意識みたいなものは、村上春樹が言っている「システム」というものなんだと思う。
その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。(【村上春樹】村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳))
我々は「花いちもんめ」というシステムを作った。だけど、いつの間にかシステムのために我々が競い合っている。
もちろん、花いちもんめは楽しい遊びだ。
だけど、たぶんこれは、ある意味で社会の縮図なんだと思う。
僕らはある意味で、巨大で複雑な「花いちもんめ」の中で生きている。
そいつらは、資本主義と言ったり、民族自決と言ったり、まあ、いろいろ。
花いちもんめのように楽しくやっているうちはいい。
だけど、気を付けないと「システム」は僕ら人間に憎しみ合ったり、殺し合いをさせたりする。
だから村上春樹は言っている。
「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。(【村上春樹】村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳))(なんだか話が大きくなってきた)
だから、「花いちもんめ」って怖いなぁと言っているんじゃなくて、こういう遊びは社会に対する「ワクチン」みたいなもんなんだろなぁ、と思うわけです。
そういうことを遊びの中に取り入れてきた昔の人はすごいと思う。
(今回書いたことは、あくまでも「花いちもんめ」の面白さの一部です。ふと思ったことを備忘録的に書いただけです)