2016年11月22日火曜日

【感想文】アンデルセン『影』/影と共に生きること

村上春樹がアンデルセン文学賞受賞した際のスピーチに取り上げられたアンデルセンの『影』を読んでみた。


影 (あなたの知らないアンデルセン)
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知を得るためのリスクの放棄が影を解き放つ

学者が影を解き放つのは、向かいの部屋の中を知りたいという欲望がきっかけになっている。
この時、学者は、自らの足を使わず、影にすべてをゆだねてしまっている。
自分の手を汚さず、痛みを伴わず、安易な方法を選んだ瞬間、我々は影を解き放ってしまう。

理想を追い求めることの難しさ、欲望に対する抗いがたさ

実体であるはずの学者は、「真善美」といった、観念的な研究を行っている。
一方、影は実業家となり、金銭的に裕福となり、実際的である。

実体は理想を追うがゆえに、現実とずれていき、影となり、最後には死んでしまう。
影は欲望に忠実がゆえに、現実的に金銭を手に入れ、最後には実態に成り代わる。

理想を追い求めることの難しさ、欲望に対する抗いがたさを突き付けられる。


実体と影は同一人物としてみてみる

例えば、私はブログを書いている。
最初は、自分の考えを文章にしてみることを目的にしていたとする。
最初のうちは、自分で考えたことを文章にする。
しかし、次第にブログに書くために物事を考えていくようになる。
いつの間にかブログを書くために生きていくようになる。

『影』の物語では、影と実態が別々の人格で描かれている。
別々の人格で描かれているから、影と実体が入れ替わっていく様子が痛々しいくらい伝わってくる。
しかし、現実では、影と実体は同一人物である。
その入れ替わりは客観的にはわかりにくいし、本人ですら、というか本人には余計にわからない。

もしかしたら、今の自分はいつの間にか、影のほうかもしれない。



影と共に生きる

では我々はどうするべきか。
その一つの答えとして、村上春樹が言うように、影と共に生きることなのかもしれない。
できるだけ、影を解き放たないように、安易な心地よい誘惑に負けないように、痛みを受け入れながら、リスクを引き受けながら、自らの欲望を理解しながら、自分に影の部分があることを理解しながら生きていかなければいけないのかもしれない。

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