2014年12月21日日曜日

サンタクロースの不在性

もうすぐクリスマス。息子は「サンタさん捕まえるネン!」と意気込んでおります。

とても可愛らしい目標ですが、彼のささやかなその夢は叶うことはありません。

なぜなら、不在であることがサンタクロースがサンタクロースたる所以だからです。

人と人は、ここにあるものよりも、“ここにないもの”を共有するときに、強く結び付けられる(らしい)。

(たしかに、お互いにとって自明のことに対してコミニケーションをとる必要はなく、目の前にないものをお互いが理解し合うことがコミニケーションの本質かもしれない。違うかもしれないけど。)

戦没者を共有することで国家はつながる。

救世主を待つことで宗教が生まれる。

サンタクロースを共有することで、家族は繋がる。

語らいの中で、子どもが考えるサンタクロース像と、親が考えるサンタクロース像をすり合わせ、その家庭独自のサンタクロース像を作り上げる。

各家庭はオリジナルのサンタクロース像を持ち、同じサンタクロース像を持つのが家族である。

たぶん。

サンタクロースは、その不在性に意義がある。

そして、サンタのプレゼントは、サンタクロースの存在の「しるし」だと思う。

サンタクロースは永遠に不在である。だけど確かに存在している。

なぜなら、親と子供は確かにここにいないのサンタクロースを共有したんだから。

その証として、朝、ツリーの下に(あるいは枕元に)プレゼントが置かれる。

子どもは、プレゼントを通して見たこともないサンタクロースの存在を実感する。

(それが“僕のことを分かってくれているサンタ”なのか“全然分かってないサンタ”なのかはわかりませんが、とにかく実感する。)

誰も見たこともないにもかかわらず、それでもなお、お父さんとお母さんと子どもは同じサンタクロース像を共有している。

それは、すごいことだと僕は思う。奇跡的だと思います。

サンタクロースは偉大です。

大切なのは、家族がサンタクロースという物語を共有することだと思います。

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