世間には、電車の中で化粧をすることを快く思わないか方々いるようだけど、僕は決してそんなことは思わない。
化粧をすることで、実際的に誰かに迷惑をかけているわけではないのだから。
むしろ、これから向かっていくであろう仕事やデートで、彼女たちがうまくいくように心の中でささやかなエールを送っているくらいだ。(グッドラック!)
ただ、公の場で化粧をする以上、それを見られること対しては許容しなくてはならない。
先日、電車の中で立っていると、僕の前に座っているお姉さんがおもむろに化粧を始めた。僕は本を読んでいたんだけど、本を読んでいる視線の先がちょうどお姉さんを見下ろすような加減だったので、彼女の化粧シーンが視界に入った。
それは、丁度彼女がピンセットを取り出して眉毛を抜き出した時で、彼女はそれを親指の付け根に一本一本丁寧に置いて行った。
僕は別にマジマジと化粧を見ようと思っていたわけではないけれど、なんとなくその「抜かれた眉毛」の行き先が気になってきたので、本を読みながら眉毛抜きの続きを目の端で追いかけた。
数分後、彼女は眉毛の選別を終え、手鏡で残された眉毛の並びを精査し、十分満足いったというわけではないが、これから向かう場所と自分の容姿と電車に乗っている時間を考えると妥協できる範囲だろうという感じで、手鏡とピンセットをポーチの中にしまい込んだ。
僕は「あれ?」と思った。
彼女は、親指の上の眉毛をティッシュにくるむわけでもなく、その辺に払うわけでもなく、最初からその存在がなかったかのように、全く関心を払わなかった。
まるで「私の眉毛はもともとこういう形だったの。だから、“抜かれた眉毛”も存在しないの。」と言わんばかりに。
そんなことをしたら、抜かれた眉毛はその辺に散らばってしまうのではないか? と思った。
あまりに、自然なふるまいに僕は少し混乱してしまった。抜かれた眉毛の存在を否定されてしまうと、それまでにしていた眉毛を抜くという行為そのものの確かさが揺らいできた。
果たして「眉毛を抜いているところを見た」という僕の記憶は確かなものなんだろうか?
最初から誰も眉毛なんて抜いていなかったんじゃないだろうか?
僕はだんだん不安になってきた。(他人の眉毛で僕のアイデンティティが崩壊しかけている!?)
僕は、僕自身の記憶の確かさ、僕自身の確かさをつなぎとめるために、僕は抜かれた眉毛のことを思う。
誰が何と言おうと、僕だけは彼女の眉毛がそこにあったという事実を確認し、記憶にとどめるためにここにその出来事を書いておく。
そうすることで、僕と言う人間をこの現実という皮膚の上に留めておく。
なんだかわけがわからなくなってきた。
それにしてもいったいあの眉毛はどこに行ってしまったのだろうか?
いまでも電車のシートにへばりついているんだろうか?
それとも、いまでは誰かの眉毛に生まれ変わっているんだろうか?
でも、今度生まれ変わるにしても、生えている場所がほんの数ミリずれているだけで、「お前はいてもいい」「お前はダメだ」と容赦なく選別され、抜かれてしまったものは存在自体をなかったことにされてしまう女性の眉毛にはなりたくないと思った。