2013年5月12日日曜日

非合理なお願い@鈴虫寺

今年のGWは、京都の「鈴虫寺」というところに行ってきました。

鈴虫寺
鈴虫寺の入り口


鈴虫寺HP

本当は「華厳寺」と言うそうです。


「願い事をひとつ、必ず叶えてくれる」有難いお寺だそうです。

(結構有名らしく、寺ガール(?)たちで長蛇の列ができてました)


必ず叶えてくれるなんて言われると、とても悩みました。


いったいどんな願いをすればいいんだろう!


せっかくなので、無い知恵を働かせて考えてみました。


そして、次のようなルールを決めました。

制約と誓約。

縛りがある方が、お願いごとの強度も増すと思ったのです。

ルール1 普段できない(思いつかない)お願いをする


せっかく遠いところまできてたので、普段できないようなお願いをしようと思いました。

「家族の健康」とか、「お金がほしい」とかは、いつでも思いつく。

いつでも思いつくようなお願いは、近場の神社とかですればいいなと思いました。

そうではなくて、普段絶対思いつかないような願い事をしたいと思いました。



ルール2 自分からできるだけ遠いことをお願いの対象にする


最近マイブームの内田樹先生の影響もあり、「一番合理的なことは、一見もっとも非合理な方法でなされなければならない」というのを思い出しました。

(詳しくはコレに書いてある。)

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ということで、願い事をするにあたって、非合理なお願いをすることにした。


つまり、「自分のためにならないお願い」が、実は「自分にとって最もためになるお願い」になる、という法則です。

「自分のためにならない」ことを「自分以外の誰かのためになる」としました。


そして、「できるだけ自分から遠いもの」、あるいは「自分とは対極にあるもの」に対してお願い事をしようと思いました。

「情けは人の為ならず」。


廻り巡って自分のためになるような、そんな願い事がになればいいと思いました。




結論。僕のお願い。


結論として、次のようなお願いをしてきました。



これから僕が出会う「僕が嫌いな人」を幸せにしてください。

「ちょっと嫌な人」にはささやかな幸せを。

「こんな奴死んでもいい」と思う人には目一杯の幸せを。


これなら、普段思いつきません。

特に、実際嫌な人を目の前にしてしまったら、絶対思いつかない。

京都の山奥で、頭が冷静だから思いつくことだ。

そして、「嫌いな人」は自分からもっとも対極にある存在だ。


条件にぴったり合う。


このお願いをしてみてから、我ながらなかなかイイお願いをしたような気がします。



効果1 世界が少し平和になるかも


僕が嫌な思いをするだけで、世界が少し平和になるなら、それはそれでいいことじゃないか。


効果2 人を嫌いにならずに済むかもしれない


僕が嫌いになることで、そいつが幸せになるなら、いっそのこと「そいつを嫌いになってやらん!」と思えるかもしれない。

そうすれば、世の中から僕が嫌いな人が一人減るかもしれない。

それは、僕の精神衛生面で、ひとつ健康になるかもしれない。


効果3 好きな人のために日々祈ろうと思う


僕がこんなことを願ったおかげで、「こいつに嫌われれば幸せになれる!」とか考えて、僕から嫌われようとする人が出てくるかもしれない。

それはちょっと嫌だ。(まぁ、実際にそこまでする人はいないと思うけど)

だから僕は、僕の好きな人の幸せを、ちょくちょくお願いしようと思う。

近所の神社なりなんなり。

ことあるごとに。

それで、僕に嫌がらせをしようとする人が出ないようにしようと思う。


自分の好きな人のためにお祈りすることは、悪いことじゃなかろう。たぶん。


(だから、僕に嫌がらせをするのは、よしてください)




自分の好きな人のことはある程度自分で何とかできる。

好きな人の為に祈ることも割とできる。

だけど、僕は聖人君子じゃないので、自分の嫌いな人のことは、なかなか自分自身で解決できない。

だから、この負の感情を神様なり仏様なりの力を少し借りて、ちょっとでも心の平穏を保てればいいと思います。





合理的な効果を求めるには、まず非合理な方法を考えるのもなかなかいいものだと思いました。


(まだ、効果測定中だけど。ていうか、効果測れん気がする。)

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