2012年11月17日土曜日

最近お金をみないなぁ。から考えたこと

Fake leather and goldFake leather and gold / Comrade Foot
最近、お金を見ないなぁ。

見る機会といえば、歯医者に行く時くらいかな。

昼飯も社食で食券支給されるし、買い物はだいたい嫁がするし、自分のはだいたいアマゾンだし。


そういえば、前も同じようなことを考えたことがあって、「お金ってこのままなくなるんじゃね?」って思ったので、飲み会の席で友達に


「お金ってシステムはなくなると思うよ」


と呟いたら、


「そんなことないよw」


と一蹴された。


まあ、極端すぎる意見だし、世の中、紙幣や硬貨を使う機会が減っただけで、実際には金は世の中を回っている。

それも、めまぐるしく。

でも、お金が電子化して、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、どんどんどんどん、そのスピードは早くなっていっている。


悟空とフリーザのバトルのように、ほとんど見えない。





あるいは、「ロッズ」みたいなもんかなと思ったりする。


目の前を飛び交っているんだけど見えない、だけどカメラで撮影した時だけ見える変な生物(生物なのか?)。


お金はロッズみたいに、この空間を飛び交っているんだけど、ふとしたきっかけで、一時的に、紙幣やお金となって、財布に入る。


お金は謎の生命体なのかもしれない。





はたまた、お金のスピードはどんどん、どんどん速くなって、そのうち、本当になくなってしまっんじゃないか?

そして、世界を一回りしてパラレルワールドへ、、、


話が変な方向へ行ってしまった。


お金システムがなくなる話だった。




お金を考える上で、クレジットについて考えてみる。

クレジット(信頼)とはよく言ったもので、お金って信頼の残量みたいなもんだ。


ゼロになったら、「お前の信頼がなくなりました」ってことで、なにも買えなくなる。


働くと(価値を生み出すと)信頼が回復する。


また、信頼だから、「こいつは、将来なんかしてくれそうだぞ」と思わせることで、信頼を前借りすることだってできる。



これまでは、便宜上、信頼をお金で表現してきた。




僕らはクレジットカードで、信用をお金に変えて使うことができる。






だけど、この信頼って、お金じゃないと表現できないの?っていったら、もちろんそんなことはない。



お金がなくても、友達の家に行けば採れた柿をもらえることもあるし、知り合いが困っていたら助けてあげる。


藁とお家を交換する人だっているかもしれない。


つまり、物々交換、あるいは「これやるからあれやって」的な直接の価値交換はもともと可能だ。


そこにお金という便利なものを手に入れたので、みんなこれ使おうよってことに過ぎない。


でも、ぼくは、テクノロジーの進化で、お金がなくても直接、信頼のやり取りができるようになるんじゃないかな、とおもっているし、そうなればいいなと思っている。


そして、ソーシャルネットワークはお金を破壊する力をもってると思っている。


「僕がこれをやるから、君はこれをやって」が回ればお金ってほんとに必要なくなるんじゃないかな?


テクノロジーの進化で、人類の叡智とも言えるお金を捨てて原始時代のようなシステムに戻る!


と考えると、わくわくします。



もうすぐ選挙が始まりそうですが、今の日本の政治って「いかに金を使うか」が、焦点だと思うんです。

どの政党が、自分のところに金を落とすか? が重要です。
そして、高齢社会の日本では、ご高齢な政家が、ロートル企業に金を落とすことでしょう。



だけど、お金システムが崩壊すれば、こんな構造も大きく変わると思うのです。


「どうぞ、勝手にお金を取り合ってください。僕たちは別のシステムで価値を交換していますから」といえると思うのです。




とまあ、お金を最近みないなぁとから、妄想が拡散して、収集がつかなくなってきたので、そろそろ終わります。



まぁ、すぐにお金がなくなる可能性は、宇宙人に遭遇するより低いと思うけど、思考実験として、未来を考える手がかりとして面白いと思いました。



おしまい。


※なんか、クレジットに関して、根本的に間違ったこと書いてしまったので消した。

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