所信表明と言うか、動機の確認と言うか。
だらだら書きます。
前々から思っていたことですが、ここ最近特に気になっていることがありました。
それは、「自分とは何か」とか、「自分と自分以外のものの違いとは何か」とか、まあ、そういった類のことです。
例えば、僕は僕の肝臓がどうなっているのか感じることはできないのに、車を運転しているときはハンドルを通して車全体をなんとなく把握することができる。(たまにぶつけたりはするけど)
よくわからない例えだけど、僕の体の中にあるからといって、すべて意識できるわけじゃない。
反対に僕の体じゃないからと言って僕が意識できないわけじゃない。
そんなことを考えていたら、じゃあ、僕と言う人間は何なんだ? って話になってとても混乱してしまいます。
混乱するけど、とても興味がある。
自分自身に対する好奇心。
思春期やら就活の時にもたしかに「自分とは?」ということに関心はあったと思う。
でも、あの頃は、何かしらせっぱつまった感というか、切実さがあって、なんか余裕がなかった。
「自分を知りたい」より、「自分をよく見せたい」だったんだと思う。
けど、30を過ぎて、子どももできた今は、純粋に好奇心と言うか、自分の良いところも悪いところも、ただただ「知りたい」という気持ちがある。
まあそんなわけで、まずはどこまで自分の体を知りたい。
体を制御することができるか、どこからができないのか。
それから始めようと思うわけです。
で、それを知るには、武道が一番いいだろうと思ったわけですが、何分、勝ち負けだとかは好きじゃない。
柔道とか、空手とかはなんか違うなあと思っていたんですが、ここ一年くらい、僕のブログでも時たまネタにする内田樹先生のブログで合気道の話がちょくちょく出てきて、これは僕向きだなぁと思ったわけです。
まず、合気道には試合がないそうです。
勝ち負けではなくて、武道とは(合気道とは)「手持ちのリソースで如何に生き延びるか?」というためのものだそうです。
なるほど。
これは僕向きだと思いました。
そんなことを考えていたこの頃ですが、たまたま子どもの保育園のおじいさんが合気道の先生をしているという情報を嫁が仕入れてきてくれました。
灯台下暗し。渡りに船。思い立ったが吉日。
合気道を始めることにしました。
何はともあれ、僕と言う人間にはどれだけのリソースがあり、それをどう使うことができるのか。
まずは、そこから始めてみようと思います。
で、先週、合気道の見学に行って、今日第一回目の稽古に行ってきたんですが、なかなか楽しかったです。
ベテランの方に思いっきりつかみかかっていって、あっけなく倒される。
自分の全力を受け止めてくれる人がいるというのはとても気持ちがいいものです。(合気道なので受け止めるというよりは、いなされるという感じですが)
そして、そんな親ほど年の離れたベテランの方々が、「なるほど! こんな技があったのか!!」と子どもみたいに楽しそうに稽古している姿をみると、なんというかこっちまでワクワクしてしまうのです。
結局、何歳になっても「自分」なんてものがわからないのかもしれない。
でも、何歳になっても新しい技(自分の中の新しい部分)を発見できるかもしれない。
そういう年の取り方をしたいと思うのです。
それは、「自分とは何か」とか、「自分と自分以外のものの違いとは何か」とか、まあ、そういった類のことです。
例えば、僕は僕の肝臓がどうなっているのか感じることはできないのに、車を運転しているときはハンドルを通して車全体をなんとなく把握することができる。(たまにぶつけたりはするけど)
よくわからない例えだけど、僕の体の中にあるからといって、すべて意識できるわけじゃない。
反対に僕の体じゃないからと言って僕が意識できないわけじゃない。
そんなことを考えていたら、じゃあ、僕と言う人間は何なんだ? って話になってとても混乱してしまいます。
混乱するけど、とても興味がある。
自分自身に対する好奇心。
思春期やら就活の時にもたしかに「自分とは?」ということに関心はあったと思う。
でも、あの頃は、何かしらせっぱつまった感というか、切実さがあって、なんか余裕がなかった。
「自分を知りたい」より、「自分をよく見せたい」だったんだと思う。
けど、30を過ぎて、子どももできた今は、純粋に好奇心と言うか、自分の良いところも悪いところも、ただただ「知りたい」という気持ちがある。
まあそんなわけで、まずはどこまで自分の体を知りたい。
体を制御することができるか、どこからができないのか。
それから始めようと思うわけです。
で、それを知るには、武道が一番いいだろうと思ったわけですが、何分、勝ち負けだとかは好きじゃない。
柔道とか、空手とかはなんか違うなあと思っていたんですが、ここ一年くらい、僕のブログでも時たまネタにする内田樹先生のブログで合気道の話がちょくちょく出てきて、これは僕向きだなぁと思ったわけです。
まず、合気道には試合がないそうです。
勝ち負けではなくて、武道とは(合気道とは)「手持ちのリソースで如何に生き延びるか?」というためのものだそうです。
なるほど。
これは僕向きだと思いました。
そんなことを考えていたこの頃ですが、たまたま子どもの保育園のおじいさんが合気道の先生をしているという情報を嫁が仕入れてきてくれました。
灯台下暗し。渡りに船。思い立ったが吉日。
合気道を始めることにしました。
何はともあれ、僕と言う人間にはどれだけのリソースがあり、それをどう使うことができるのか。
まずは、そこから始めてみようと思います。
で、先週、合気道の見学に行って、今日第一回目の稽古に行ってきたんですが、なかなか楽しかったです。
ベテランの方に思いっきりつかみかかっていって、あっけなく倒される。
自分の全力を受け止めてくれる人がいるというのはとても気持ちがいいものです。(合気道なので受け止めるというよりは、いなされるという感じですが)
そして、そんな親ほど年の離れたベテランの方々が、「なるほど! こんな技があったのか!!」と子どもみたいに楽しそうに稽古している姿をみると、なんというかこっちまでワクワクしてしまうのです。
結局、何歳になっても「自分」なんてものがわからないのかもしれない。
でも、何歳になっても新しい技(自分の中の新しい部分)を発見できるかもしれない。
そういう年の取り方をしたいと思うのです。
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