2014年1月30日木曜日

『したきりすずめ』と村上春樹と僕の子育て

この間、絵本で『したきりすずめ』を読んだ。

その感想を書いたけど、例によって考えながら書くもんだから、かなり長くなってしまった。。。



したきりすずめ (日本傑作絵本シリーズ)
石井 桃子
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『したきりすずめ』面白い。示唆に富んでいる。

こういう寓話はいろんな教訓や見方がある。

読むたびに新しい発見がある。



今回読んでみて気になったのは、「ばあさんのつづらの中身が化け物になったのはいつのタイミングか?」というところです。


大きなつづらには、最初から化け物が入っていたのか?

ばあさんが、家に帰るまでにあけてしまったから、箱の中身が化け物になってしまったのか?

じいさんが大きなつづらを選んだらやはり化け物だったのか?

それとも、じいさんが大きなつづらを選んだら、なかみは宝物だったのか?


じいさんとばあさんの前にはさまざまな選択肢が提示される。

そして、さまざまな可能性があった。


もし、じいさんがこうしていたらどうなっていただろう。ばあさんがこうしていたらどうなっていただろう。


いろいろと考えた挙句、結局僕の考えはこういうところに落ち着いた。





つまり、じいさんはどう転んでも小さなつづらを選んでしまう。

ばあさんは、どう転んでも大きなつづらを選んでしまう。また途中でふたを開けてしまう。


彼らには、それ以外に選択の余地がない。



だから、『したきりすずめ』の話に「もし」を考えてもあまり意味がない。


それよりも、なぜじいさんは小さいつづらを選び、ばあさんは大きいつづらを選んだか。


宝とは何か? 化け物とは何か? を考えたほうがいいと思う。



で、じいさんとばあさんの性質の違いを考察してみる。


考察に当たって、石井桃子の『したきりすずめ』(冒頭のリンクの絵本)をベースにする。

(この『したきりすずめ』は、じいさんばあさんが雀のお宿を探す際に、「牛あらいどん」と「馬あらいどん」に出くわす。彼らは、牛や馬を洗ってくれたらその見返りに雀のお宿への道を教えてくれる。)


ばあさんの性質


まず、ばあさんの性質から。


ばあさんは、なんとなく強欲で意地悪な印象がある。だけど、物語をよく見ていくと、単純にそれだけとは言いにくい。

おばあさんの行動をざっと取り上げると、次のようなものだ。


  1. 雀が糊を食べてしまったので、舌をちょん切る。
  2. 牛あらいどん、馬あらいどんに「牛(馬)を洗ったら雀のお宿の道を教えてやる」と言われたら、ちゃちゃっと牛(馬)を洗って、道を教えてもらう。
  3. 大きなつづらをもらう
  4. 家に帰るまでにつづらを開ける。
これらをざっと眺めてみると、ばあさんは、大変「合理的」な人間であるということがわかる。

1.の「下をちょん切る」というのは、残酷ではあるけど、「問題の根本を断ち切る」という意味では、実にクールで現実的で効果的な対応だ。


2.は手抜きでズルをしているようだけど、もっとも労力の少ない方法で「道を聞く」という目的を達成している。

3.も同じコストをかけるのであればより大きな利益を得るという、合理的な判断に基づいている。

4.は同じ利益を得るなら、早く得るという判断、あるいはじい様と二人で分けるよりは、一人占めしたほうが利益が大きいという判断。さらには、「持って帰る」というコストをカットするという判断かもしれない。


とにかく、ばあさんは、徹底した合理主義である。


だから「小さいつづらを選ぶ」という選択肢はあり得ない。


ここが、この物語の怖いところだと思う。


自分が合理的だと思って判断している人間は、自分で何かを選択したように思っていても、結局は何かに「選ばされている」。


そして、その結果つかむものは、化け物である。

化け物とは何か?

この化け物とは何か、というのが僕にはうまく説明できないんだけど、僕の好きな村上春樹の小説等がうまく説明してくれていると思う。

村上春樹の『1Q84』に出てくるリトルピープルや、エルサレムでの『卵と壁』スピーチの「壁」や「システム」が、この化け物と同じものだと思う。

【村上春樹】村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳)


人々の合理的な思考の総体のようなものが、人や世界を暗い方向に引っ張っていってしまう、そういうものが化け物なんだと思う。




じいさんの性質


反対に、じいさんの性質を考えてみる。

爺さんの行動はざっと次のようなものだ。


  1. 舌を切ったばあさんに代わって、雀に誤りに行く
  2. 牛あらいどんと馬あらいどんの牛や馬を丁寧に洗う
  3. 自分でも持って帰れる小さなつづらを選ぶ
  4. 家までつづらを開けずに持って帰る
じいさんは優しくて、無欲と言えばそれまでなんだけど、もうちょっと見てみると、じいさんには次のような信念があるようだ。

じいさんは「自分にできることを真面目にやる」という信念だ。



言い換えると、じいさんは結果よりも過程を大事にしていると言える。

宝とは何か

じいさんが得た宝とは、この過程を大事にする人生そのものではないだろうか。


また村上春樹で例えると、『ダンス・ダンス・ダンス』で羊男が次のように言っている。

音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。
意味、つまり「それによって何が得られるか」ということは大した問題ではない。大事なのは踊り続けることだ。



自分ができることを、ただ誠実にやる。


それだけが、合理性という化け物に抗う唯一の方法であり、人生を宝物にする方法のようだ。



この『したきりすずめ』の教訓を自分に当てはめてみる


こいつを、自分の人生に当てはめるのはなかなか難しい。


たとえば、子育てに当てはめてみる。


自分の子どもが、将来幸せになってほしい。素晴らしい人間に育ってほしい。

だけど、僕のリソースは限られている。(経済面、時間面etc)

だから、どうしても少ないコストで、より効果の上がる教育を施してやりたい。



だけど、そういう考え自体が自分の子どもたちに、「より少ないコストで最大の利益を上げる」という思考回路を育てるだろう。

できるだけ努力せずに何かを手に入れる術を身に着けていくだろう。

『したきりすずめ』のばあさんのような人間に育っていくだろう。





自分の子どものことを思えば思うほど、化け物に食われる可能性が高くなる。

この矛盾が僕の前に立ちはだかる。


僕は、『したきりすずめ』のじいさんにならなければならない。

自分の子どものことを考えるなら、自分の子供の将来のことを考えてはいけない。

「子どもの幸せ」という結果を求めてはいけない。

ただただ、目の前の「子ども」と向き合うしかない。

僕が人生を一歩ずつ歩く姿を見せるしかない。


とても難しそうだ。


うまくいくだろうか?


とにかく、できることをやるしかない。


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