2012年10月4日木曜日

裸の王様の国

先日こんなブログを読んだ


デマこいてんじゃねえ!/裸の王様の教訓は?


ふんふん、と読んでたけど、


「あれ? 裸の王様ってどんな話やったっけ?」 ってなった。


みんな、王様が裸だってこと知ってたんだったっけ?

それともみんなだまされてたんだっけ?

最後に子供が「王様が裸だ!」 って言った後どうなるんだっけ?


細部があいまいで、ちゃんと思い出せない。



てなわけで、裸の王様の原文訳を読んでみた。


ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 はだかの王さま The Emperor's New Suit


読んだ後、今まで細部を微妙に取り違えていたことに気がついた。

そして、非常に示唆に富んでいることに驚いた。

是非読んでみてください。

以下に僕の考える教訓を書いてみます。



  • よき動機がよき結果に結び付くとは限らない。

まず驚いたのは、王様がバカには見えない服を作らせたのは、とてもよい考えからでした。

「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」


これは、本当に意外でした。

王様、メッチャかっこいいやん。と思ってしまうほどです。

しかし、結果はご存じの通り散々です。

よき動機でも、思慮深さと誠実さがなければうまくいきません。

これは大事な教訓です。



  • 保身が人にウソをつかせる

王様が作らせた服は単純に「バカには見えない」服ではありませんでした。

正確には

自分にふさわしくない仕事をしている人と、バカな人にはとうめいで見えない

です。

「バカ」だけだと抽象的すぎますが、「自分にふさわしくない仕事をしている人」となると、かなり具体的です。

要するに見えなければ即「クビ」です。

そりゃウソもつきたくなります。


また、僕は、みんなが王様に「裸だ」と言えなかったのは、王様に逆らうとクビになるからだと思っていました。

でも、原作では、見えないことそのものがクビに繋がるみたいです。

これは、王様の機嫌を損ねクビを切られるより深刻です。

王様一人を交換して済む話じゃないからです。




しかも、興味深いのは、一番まともそうな人間が一番最初に「見える」と嘘をつくところです。

 そこで王さまは、けらいの中でも正直者で通っている年よりの大臣を向かわせることにしました。この大臣はとても頭がよいので、布をきっと見ることができるだろうと思ったからです。向かわせるのにこれほどぴったりの人はいません。

一番まともだからこそ、保身に走り、一番まともだからこそ「あの人が見えるなら本当なんだ」と、他の人にも次々に伝播してしまった。

まじめな人ほど、だまされる典型です。



  • 実体がないものでもみんなが認めれば価値になる(バブルの話)

実体がなくても、みんなが素晴らしいと認識すれば価値が出る。

まさにバブルそのものだ。


みんなが王様が着ている(ことになっている)服に価値を見いだせばそれは価値がある。

ただし、それは、みんなが認めている間だけだ。

誰かが「裸だ!」と叫べば、たちまち価値がなくなり崩壊してしまう。

この物語では、王様が恥ずかしいだけですんだ。

でも現実はもっと厳しいことの方が多い。



  • 黒船はいつも海の向こうからやって来る

Wikipediaによると、「王様は裸だ!」と叫んだのは子供ではなく、黒人だったらしい。

元の話では王様が裸であると指摘するのは子供ではなく黒人であった。

たぶん、人種差別的な観点から子供になったんだろう。


でも、子どもだったら純粋に「見たままを言った」で納得できるけど、黒人となると「純粋」ではしっくりこない。


子供と黒人の共通点ってなんだろう?
アンデルセンが黒人に「裸だ」と言わせた意図はなんだろうと考えた。



それは物語の中で、どちらもアウトサイダーとしての役割だったんだと思う。


裸の王様の国の常識を持たない存在。


黒人は奴隷として、白人社会の常識を共有できない。
子供はまだ社会の常識を理解できていない。


これは、単純に「純粋な心を持ちましょう」と言う啓蒙よりは、狭い社会で通用していた常識が、外部の力で意図も簡単に崩れ去る危うさを示唆していると思う。


Amazonが出版を変えたように。
Appleが音楽業界や携帯業界を変えたように。

良くも悪くも、常識が変わるのはいつも外側からだ。



  • いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。

僕が一番恐ろしいと思ったのは、この最後の部分。

王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。

引くに引けないと言うやつです。


非常に怖いです。

一度始まったものは、途中で愚考に気づいても、やめることはできない。
行くところまで言ってしまう。

僕はこの結末に、ゾッとしてしまいました。



  • まとめ 裸の王様の国の希望
改めて原文訳を読んでみると、非常にたくさんの教訓があります。
特に、最初はよき動機で始められ、最悪の結果になろうとも、動き出せば止まらない。行き着くところまでいってしまう怖さを教えられる。

まるで、将来のエネルギー問題を夢の原子力技術で挑み、様々な重大な問題が起こってしまっても突っ走っていく日本そのものだ。

動き出したものを止めることは非常に難しい。


だけど、この物語には希望もある。

だれかが「王様は裸だ!」と叫んだあと、みんな目が覚めた。

「王さまははだかだぞ!」 ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。
「子どもは馬鹿だから見えないんだな」と黙殺される可能性だってあった。

だけど、人々はそこまで馬鹿じゃない。

きっかけさえあれば目覚める。


王様はパレードをやめることができなかった。
でも、パレードを続けるだけで済んだのかもしれない。

もし、ここで子どもの叫び声を黙殺されたら、もっとひどいことになっていたかもしれない。

馬鹿には見えない服が、一般市民にも流行りだし、詐欺師に国中の財産をもぎ取られ、冬になって全員凍死するストーリーだってあったはずだ。

だけど、僕らは何かのきっかけでちゃんと目覚める力を持っている。

それが、外からの声かもしれない、子どもの声かもしれない。



手遅れになる前に、真剣に耳を傾けよう。



僕らは裸の王様の国に住んでいるんだから。

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