2013年2月17日日曜日

芸術はシャーマンキングの「オーバーソウル」みたいなもんだ

芸術についての雑記。

芸術って、『シャーマンキング』の「オーバーソウル」みたいなもんだなと思う。

僕らは「言葉」で思考する。

だけど、言葉には限界がある、

僕らは言葉にないものを考えることはできない。


こんな話を聞いたことがある。


イヌイット(エスキモー?)は「白」の表現が何十種類もある。

氷の世界では、様々な「白」が生きていくために重要になるからだ。

(正確なところはよくわからないけど、ひとつのたとえ話として)



もちろん、無理やり翻訳することはできる。

「ほんのり黄色っぽい白」とか「紫がかった白」とか・・・

だけど、本質的な互換には限界がある。


つまり、言葉には限界がある。


僕らは限定された器の中で思考し、コミュニケーションをとっている。


誰かは「言葉の檻」という表現を使っていた。


だけど時々(あるいはしょっちゅう)、この「言葉の檻」の中で思念が暴れだす。

 
暴れ、はみ出す。


このはみ出した部分が具現化すると、絵になり、歌になる。


芸術になる。




つまり、シャーマンキングでいうところの「オーバーソウル(O.S)」です。



「言葉」という器にO.Sしてあふれ出た部分が具現化する。


それが芸術なんだと思います。





たぶん。


きっと。


ひとつの見方として。




0 件のコメント:

コメントを投稿