2013年3月15日金曜日

地震と向き合うために

2011年3月11日、東日本大震災から2年余りがたちました。


僕自身は、あの瞬間、東京にいて全く無事でした。

幸い、千葉の自宅(当時)も実際的な被害はありませんでした。

家族も無事でした。


だけど、あれほど大きな規模の出来事は、実際的な被害がなくても、人間の内面をがらりと変えてしまうということを身を持って感じました。


あの圧倒的な地震で、僕の中の何か(たぶん僕がこれまで築き上げてきたモノたち)が、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。



そして、液状化現象のように、隙間を埋めていた、いろんな感情(不安や弱さ、喜びや希望)みたいなものが表面に溢れ出してきて、ぐちゃぐちゃにまじりあってしまった。


そのぐちゃぐちゃを、うまく整理できないまま2年間を過ごしていたような気がします。




僕は、そんな自分の不安定な状態を見て見ぬふりをして、何とかうまく立ち回ろうとしてきた。




だけど、そろそろ、ちゃんと向き合うべき時期が来たような気がする。



あの地震は、僕にとって何だったのか。

僕に何をもたらしたのか。

僕は何を損なったのか。

何を失わずにすんだのか。

何を得られなくなったのか。




それらを、しっかりと見つめなおす必要がある。


あの地震と向き合う必要がある。


そして、もう一度、地震で崩れてしまった僕の内面を立て直して、感情を整理する必要がある。




何が言いたかったというと、僕は17日から20日にかけて、東北へボランティアに参加しに行きます。
(作業は18日、19日だけであとは移動です)


時間ができたことと、家族が応援してくれたことで、行けることになりました。(感謝です)


本当はもっと早く行くべきだったんだと思いますが、なんやかんや言い訳をしながらずっと後回しにしていました。

「僕には家族がいる。他人の前にやらなければならないことがたくさんある」

みたいな言い訳です。(家族のせいにするなんて、とても情けない言い訳です)


ボランティアというと、人のためというのが基本なんでしょうが、上述の通り、動機は僕自身のためであり、非常に不純です。

不謹慎と言われても仕方がありません。



現地でご苦労されている方には非常に申し訳ないと思います。


でも、高々僕程度のものが迷惑かけたところで、大した害にはならんのじゃないかなと開き直っています。


あわよくば、何かの役に立てれば、そんなにうれしいことはありません。



あの地震と向き合うため、東北へ行きます。

とはいうものの、たった2日では、何も変わらないかもしれない。

また、2年という歳月は、取り返しのつかないものなのかもしれない。

だけど、とにかく行かないことには始まらないのです。


僕自身の救済のために。


たとえ、うまく自分を取り戻せないとしても。




※僕は、地震によって物理的、実際的な被害は受けてません。なので、物理的・実際的な被害にあわれた方、亡くなられた方、誰かを亡くされた方に比べたら僕の感傷なんて、全然大したことありません。なので、「お前の感傷がなんだっていうんだ!」とお叱りを受けるかもしれません。それに関しては、弁解の余地もありません。ただ、僕は非常に身勝手で我儘で弱い人間なので、他の方のことよりも自分のことを優先するしかないのです。すみません。

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