2013年3月8日金曜日

【映画】『ダークナイト・ライジング』/新しいヒーロー像

『ダークナイト・ライジング』みた。

突っ込みどころ、満載だった。

前作、『ダークナイト』が良かったので、期待が大きかったのもあって、『ライジング』見終わって、ちょっと残念だった。


だけど、「残念」で終わってしまうのも悔しい。


「『ダークナイト』が良かったんだから『ライジング』もいいはずだ」というミーハー精神で、『ライジング』を自分の中で咀嚼した。


いろいろ考えたら、意外といいかも? と思ってきた。


それをだらだらと綴ります。





以下、ネタバレアリ。










『ダークナイト』の宿題の答え






『ダークナイト』では、ジョーカーが「混沌」の「象徴」として描かれる。



人々はハービーデントの「光の騎士」という「幻想」で、仮初の平和を手に入れる。


しかし、幻想はいつか終わりが来る。


案の定、再び混乱がやって来た。

文字通り、光の届かない地下から。

今度は「象徴」としてではなく、「現実の人間」が望んで「混乱」を持ってくる。


それが「ベイン」だ。


今度は「リアル」な人間が相手だ。


幻想ではなく、根本的な現実的な解決が必要だ。


『ダークナイト・ライジング』では、この根本的な解決が示唆されていると思う。


ベインの強さの秘密。あるいはバットマンの弱点。



「ベイン」の描かれ方と「ジョーカー」の描かれ方の違いは非常に面白い。



ベイン:過去がしっかり描かれる。つまり実体のある確かな人間として描かれている。

ジョーカー:過去が描かれていない。口の傷の由来も様々。つまり同時多発的な「神的」に描かれている。



ジョーカーが、象徴的、神的な存在として描かれているのに対して、ベインは確固たる信念、目的を持った一人の人間として描かれている。


ベインはゴッサムが仮初の平和を享受している間に、地下で着々と力を蓄える。


そして幻想に耐性をもつ。


幻想を恐れない。神を恐れない。ヒーローを恐れない。

新人類。


だから、バットマンはかなわない。


バットマンもやはりヒーローという幻想だからだ。


ブルースにとってもバットマンは幻想だった。


レイチェルが死に、ジョーカーが去った後、ブルースはただただ死に場所を求めていた。


再び悪者が現れ、バットマンに戻ることを夢見ていた。



死に場所を与えてくれる存在。


もしくは、自分の存在意義を感じさせてくれる存在。


そんなバットマンだからこそ、ベインに完敗する。




バットマンの幻想パンチ! 幻想キック!


そんなものはベインには通用しない。


ベインは徹底的なリアリストだからだ。


幻想のパンチやキックでは軽すぎるのだ。


ベインを倒すためには、リアルなパンチ、リアルなキックが必要だ。


生身の人間の重みのあるパンチ。


バットマンが奈落の底で手に入れたもの




あえなく、バットマンは奈落(監獄)送りになる。


そこで、バットマンは修行(?)によってリアルな力を手に入れる。


死への恐怖、生きる希望。


それらによって、バットマンはヒーローという幻想を捨て去り、一人の人間としてベインに立ち向かう。



ゴッサムに戻ったバットマンは、これまでとは一味違う。

まず、仲間を信頼し、自分の命を預ける。

これまでも、ゴードンやハービーと協力していたし、信頼もしていた。

でも、自分の心の内まで見せていなかったように思う。


だけど、奈落から戻ったバットマンは、「俺は君を信頼している!」という気持ちを包み隠さず見せる。


これは大きな変化だと思う。



そして、いざベインとの再戦!


リアルパンチ! リアルキック!


やった! 今度は届く!


もうバットマンは幻想じゃない。

自分自身のために戦う。

自分と自分の周りの人の幸福のために戦う。


だから届く!


個人的パンチ! 個人的キック!


そして、とうとうベインをやっつけた!



すごいぞリアルパワー! すごいぞ個人パワー!


(今回の泥臭い殴り合いが多くて、最初は「えぇww」っておもった。

でも、このあたりの「幻想」「実体」の攻防を表現するには、確かに納得の演出だと思う。)



これから必要な新たなヒーロー像



このリアルパワー、個人パワーこそが、幻想に頼らず、根本的な問題を解決するためのパワーだと思う。






そして、このパワーは、バットマンがゴードンに最後に言ったセリフのヒーロー像と同じだ。
"ヒーローはどこにでもいる。
目の前の子どもの肩に上着をかけてやり、「世界は終わらないよ」と優しく励ましてあげる。
そういう男こそが、ヒーローなんだ。"


バットマンが奈落の底で身に着けた個人的パワーは「目の前の男の子を優しく励ますこと」とイコールだ。


これをみんなが持ち続けることが大事なんだ。



世界は複雑になった。

誰か一人をやっつければ何かを解決できるというわけではなくなった。

(実際ベインは真の首謀者ではなかった)

何かを解決できたとしても、新たな問題が次から次へと沸いて出てくる。

(ラズアルグール、ジョーカーをやっつけてもベインが出てきたように。)


今までのような強大なヒーローでは対応できない。


だから、世界には新しいヒーロー像が必要だ。




これからは、「目の前の子どもを優しく励ます」という小さいけれどリアルなヒーローこそ必要だ。


そしてみんなヒーローになれる。


そういうヒーローたちが新しい世界を作ることができる。

ミスチルも言っていた。

”ヒーローになりたい、たった一人君にとっての。つまずいたり転んだりするのならそっと手を差し伸べるよ”

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