2013年3月12日火曜日

僕は願い事を上手にできない

ぼくは、神社とかで願い事がうまくできません。


お賽銭を投げて、ガラガラやって、手をパンパン叩く。


そして心の中で願い事を言う。


「カゾクガケンコウデアリマスヨウニ・・・」


ぎこちない。

心なしか片言になっていまう。


どうしても嘘っぽくなってしまう。


神様もきっと

「ぱーどぅん?」

と聞き返してると思う。


いつも、お願いをした後に「神様は聞いてくれたんだろうか」と不安になって終わる。

願い事をしに行って、不安になって帰ってくるのも釈然としない。


「神様に伝わった!」という手ごたえを感じない。






だから、最近では手を合わせている時には「何も考えない」ことにしている。


ただ、事前には「何をお願いするか」を決めておく。

「家族の健康」とか「交通安全」とか。

だけど、実際に手を合わせて目を閉じているときには頭をからっぽにする。



すると、あら不思議。

目を開けたときには、結構気分がすっきりしている。

しかも、一生懸命願い事を念じていた時よりも、願いが神様に届いたような気がする。





むしろ、僕が何も考えられないのは、僕の願望、煩悩みたいなものを神様が吸い上げてくれたからのような気すらしてくる。


僕の願望、煩悩を浄化してくれる。

うん、浄化。

浄化って言葉がピッタリだ。


そして、その浄化したモノを、再び僕の細胞の隅々までを浸み込ましてくれる。


神様に

「大丈夫、何も心配いらない。リラックスしなよ。きっとうまくいくよ。」

と言われた気がする。

僕は、頭の中がすっきりして、リラックスして、「うん、大丈夫、何とかなる」と思う。


頭の中で凝り固まった煩悩エネルギーを身体を動かすための身体エネルギーに変えてもらったようなイメージです。




みんなは、願い事するときはどうしているんだろう?

嫁はどうしているのか聞いてみたら、


「神様に話しかけている」

のだそうだ。



「最近、お参りに来てなくてすみません。あのですね、実は近頃○○が××で・・・。ここはひとつ▲▲してもらえませんかねぇ・・・。どうでしょう?」


ていう具合だそうだ。(こんな軽いノリではないかもしれませんが)



お願い事のスタイルもいろいろだ。


面白い。


以上。

僕は願い事がうまくできないので、お参りの時は何も考えないようにするというお話でした。


心の中で願い事をうまく言えない
心の中で願い事をうまく言えないの図

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