EXILEってかっこいい。
EXILEのかっこよさには、記号的なものがある。
『スプートニクの恋人』という小説の中で、記号と象徴の違いが説明されている。
「天皇は日本国の象徴だ。しかしそれは天皇と日本国とが等価であることを意味するのではない。わかる?」
「わからない」
「いいかい、つまり矢印は一方通行なんだ。天皇は日本国の象徴であるけれど、日本国は天皇の象徴ではない。それはわかるね」
「わかると思う」
「しかし、たとえばこれが、<天皇は日本国の記号である>と書いてあったとすれば、その二つは等価であるということになる。つまり我々が日本国というとき、それはすなわち天皇を意味するし、我々が天皇というとき、それはすなわち日本国を意味するんだ。さらに言えば、両者は交換可能ということになる。a=bであるというのは、b=aであるというのと同じなんだ。簡単にいえば、それが記号の意味だ」
天皇は日本国の象徴だ。しかしそれは天皇と日本国とが等価であることを意味するのではない。わかる?」
「わからない」
「いいかい、つまり矢印は一方通行なんだ。天皇は日本国の象徴であるけれど、日本国は天皇の象徴ではない。それはわかるね」
話を元に戻すと、EXILEのかっこよさは記号的だ。
EXILEはかっこいい。
かっこいいのはEXILEのことだ。
「EXILE」と「かっこいい」は等価で、交換可能だ。
テレビでEXILEが出てくると、僕らはそれをかっこよさの記号として捉える。
僕らは、それを「かっこいいもの」と捉える必要がある。
記号だから。
もし、そこで「EXILE? かっこよくねえよ」なんて考えだしたら、テレビ上での文脈が成立しなくなる。
だから、そこには異論も疑問も認められない。
テレビでEXILEを見たら、それは「かっこいい」のだ。
この記号的にかっこいいEXILEを眺めていると、だんだん不思議な感覚に陥る。
いわゆるゲシュタルト崩壊が起き始める。
脳ミソの中で
EXILE→かっこいい→EXILE→かっこいい・・・
を繰り返していると、ある時点で、
「あれ? ”かっこいい”ってなんだっけ?」
ってなる。
そういう感覚に陥ったとき、その記号的カッコよさがある種のおかしみを帯びてくる。
オースティンパワーズのようなコメディを見ているような感覚に陥る。
かっこいいってなんだろう?
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