2013年7月13日土曜日

列車はココからどこかへ行くためのもの

木のレールのおもちゃっていいですね。


プラレールみたいに自動で動くおもちゃもいいですが、ある程度小さいときは、自走しないものがいいと思います。



保育園の先生の受け売りですが、子どもがレールをつなぎ合わせて行くとき、子どもなりに「物語」を作っているそうです。


きっと、ココにはこんな人が住んでいて、どんな生活をしていて、とか。

ココには、こんな山があってこんな花が咲く、とか。

列車はその人々や、モノを眺めながら進んでゆく。


ということだと思います。




なるほど。わかります。





そう考えると、そもそも列車ってココからどこかへ行くためのもんだなぁ、と思う。


一周ぐるっと回る列車って、現実世界では、実は少数派なんじゃないだろうか。



山手線とか、大阪環状線とか、東京の地下鉄とかって、どちらかというと割と”特殊”な部類に入るんだと思う。



列車の根本的なものって、「A地点からB地点へ何かを運ぶ」っていうものなんじゃないだろうか。


それは、人間が「どこかへ行きたい」っていう根源的な欲求から生み出されたものなんじゃないだろうか。






だから、レールのおもちゃも、「別に一周回らなくてもいいじゃん」と思う。


(プラレールみたいな自走するおもちゃは、「一周することが前提」になってしまう)


むしろ「ココから出発して、どんどんつなげていって、どこかにたどり着く。その方が物語としては自然じゃん。」と思う。





というわけで、子どもの四歳の誕生日は奮発して木のレールのおもちゃにしました。












プラレールは、もう少し大きくなって、メカと親しめるようになってから。。。


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