立て続けに、内田樹先生の著書を読んで、人間は「あるものを共有する」よりも「ないものを共有する」ことに重きを置く云々というくだりにフムフムと納得しました。
じゃあ、自分に無いものってなんだ? と考えた時、結構困る。
「有るもの」は有限だけど、無いものは「無限」だから。
無限の中から、「これが無い」と選択するのはなかなか難しい。
でも、その中から選び出されたものは、自分にとって何らかの意味を持つ。
「きっと、無いものを理解することは人生において重要だ!」 と思い、「ないもの探しゲーム」というのを考え付きました。
なんてことはないんですが、「古今東西」のお題を「ここにないもの」にしただけのものです。
(物体の名前だけでなく、概念やシステムなんかを含めると広がりがあって面白いと思うけど、わけわかんなくなります)
かっこよく言えば、消去法によって自己を捉える試みですね。
彫刻みたいに、どんどん削り取っていく感じです。
で、嫁とやってみましたが、これ、意外と難しい。
ありとあらゆる無い物から、ひとつ選び出すっていうのはなかなかセンスが問われます。
相手に「おお!」と言わせるようなものを言うのはなかなか出てこない。
自分のボキャブラリーの少なさに愕然としました。
このゲームをやってみて思ったのが、「無いもの」は無限にあるのだけど、「無いもののうちで言葉にできるもの」はごく一部で、その外側には「言葉にできないもの」がさらに広がっていることを実感できました。
(内田先生もこの言語化できない方の共有が大事と言ってるのかな?)
結局僕らが認識できるのは言語化できるものだけなんだなぁと。
きっと、この言語ができないものを表現するのが芸術なんだなぁと思いました。
子供が大きくなったら、「無いもの探しゲーム」をやってみたいと思います。
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