2013年4月8日月曜日

【感想文】『怪物はささやく』/僕らは物語を必要としている

『怪物はささやく』を読んだ。

何かのブログで目にして気になっていた。

それが何のブログだったかは忘れたけど。




図書館で探したら、児童向けコーナーにあってちょっとビビった。

いつかの中学生の読書感想文課題図書になったとか。



とても面白かった。




たまたたYoutubeで本のTrailerを見つけて、かっこよかったので張り付けておきます。








以下感想。ネタバレ含みます。



怪物はささやく
怪物はささやく
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パトリック・ネス
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4つの物語

怪物はコナー少年に3つの物語を語るといいます。

そして、3つの物語が終わった後、最後に少年が4つ目の物語を語らなければならないといいます。


まず、この設定でやられました。


どんな物語が繰り広げられるのか。



気になって気になって仕方がない。




この設定を突き付けられた瞬間に、『怪物はささやく』という物語の虜になってしまいました。


怪物とは何か

怪物はささやく。

巨大な体、恐ろしい容姿、強力な力を持っていながら、怪物は物語りに来たといいます。


怪物とは何なのか。


たぶん、怪物は物語りそのものなんだと思う。

物語の荒々しさ、生命力、優しさ。

それが具現化したものが怪物なんだと思います。


また、怪物はイチイの木の化身です。

イチイは毒にもなり薬にもなります。


物語も、ある時は毒になり人を傷つけます。

またある時は薬となり人を癒します。


イチイの木であることも重要な要素です。





真実を物語ることは、時としてどんな怪物よりも恐ろしい。


この『怪物はささやく』は物語に対する畏怖の念を抱かせてくれます。




人間の二面性


第一の物語で、怪物は人間の二面性についての物語をする。

人間は簡単に善悪や良し悪しに分けることができない。

このことは、怪物が話す物語の中だけでなく、この小説の登場人物の描き方にうまく反映されている。

コナー

母親を思う優しさを持ちながら、人には決していうことのできない闇を抱えている。

母さん

子どもを思う優しさを持っていながら、自分の病状を子どもに正確に伝えることができない弱さと残酷さを持っている。

おばあちゃん

孫に対する厳しさと傲慢さを持ちながら自分の娘を献身的に支える優しさを持っている。

父さん

母さんとコナーを捨てた身勝手さを持ちながら、新しい家族を大事に思う優しさを持っている。また捨ててしまった家族に対する責任を感じている。


さらっと登場人物を眺めただけでも、二面性(というか多面性)が見られる。そのあたりの描写がとてもうまいなと思います。

僕らは物語を必要としている

人間が二面性を持っている。その相反するものを抱えて生きていくのは非常につらい。

誰にも言えないような残酷な内面を抱えているならなおさらだ。


だから僕たちは物語りを必要とする。

自分自身の真実を語らなければならない。


語らなければ本物の怪物に食われて死んでしまう。

だけど、真実を語ることはどんな怪物よりも恐ろしい。

だから怪物(イチイの木の方)が来た。


3つの物語はコナー少年に、人間の二面性を受け入れること、それが当たり前であることを教える。


そして、コナー自身の二面性を受け入れ、真実を語ることで初めて救われる。


僕らには物語が必要だ。

誰かに物語を聞いたら自分自身が語らなければならない

『怪物はささやく』では、怪物が物語を3つしたら、最後に少年が4つ目の物語を語らなければならない。

これは、現実世界でも大事なことだと思う。

僕らは、小説でも映画でも漫画でも、物語を聞いたり読んだりしたら、自分自身について語らなければならない。


別に、ブログで感想文を書かないといけないとか、誰かに何かを打ち明ける必要はないんだけど、物語を聞いたり読んだりしたら、「じゃあ、僕の場合はどうだろうか?」について考える必要がある。

「おもしろかった」「感動した」「泣けた」だけじゃなくて、その物語が意味することを自分なりに消化し、自分自身について物語る。

これは大事なことじゃないかなぁと思う。


で、この物語を読んで、僕自身の二面性について考えてみる。


・・・


うーん。

ここでは言えないなぁ。



少しの不満



この物語で、少しだけ不満がありました。

不満1 怪物の話の途中でコナー少年は余計なことは言わないでほしい

物語の中に物語を挿入するのは結構難しいんだなと思う。

怪物が語る物語の合間合間に、コナー少年の感想が入ってくるのがわずらわしく感じた。

この小説を読むにあたって、僕自身も怪物が語る物語の聞き手になっている。

怪物の語る物語も一つの物語なので、そこで途中で他人(コナー少年)の感想が入るとわずらわしい。

だけど、これは『怪物がささやく』という物語でもあり、コナー少年の「合いの手」を含めて一つの物語であるわけで、僕は「合いの手」を受け入れなければならない。


その辺の、バランスを取るのが非常に難しい。


どうしてもコナー少年の「合いの手」が読者の思考を一旦「誤った方向へ誘導するためのテクニック」に見えてしまって、白々しくなってしまう。

もちろん、このコナー少年の「早とちり」は、彼の幼さを表し、これから成長するための布石だから、悪くはないんだけど。


とにかく、物語 in 物語は、表現として難しいんだなぁと思いました。


不満2 答えは不要

最後の方で怪物は、自分が語った3つの物語の「答え」を教えてくれます。

親切です。

でも、あんまり答えを言ってほしくなかった。

それは、コナー自身が行動で示せばよかった。

「答えはこうだ」

なんて言ったとたん、物語の力は半減してしまう。たぶん。


それは、「答え」として語られることができないから物語として存在していたものだ。


この余計な親切が「児童書」として必要な部分なんだろうか。




でも、これらの不満を差し引いても、とても面白かった。








余談

どうでもいいけど、日本語版と英語版の装丁を見ると、左右対称になっていました。

怪物は物語りに来るので、文章の流れと同じ方向でやってくるんでしょうね。

日本語は右から。英語は左から。

怪物はささやく A Monster Calls. Patrick Ness, Siobhan Dowd

おわり


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